「研究して解る」は最低限。「愛着」があってこそ
寝がけにコーヒーなんて飲むものではないですね(笑)
目が冴えて寝られないので、先日読み終わった『近畿能楽記』(大岡山書店、1933年)と同じ野々村戒三による著作『能楽古今記』(春陽堂、1931年)を読んでます。こちらの方が出版が先なので、先に読むべきだったでしょうか。『近畿能楽記』の中にも「○○は能楽古今記に記したが…」といった表現もありました。
その『能楽古今記』、最初にある序言の言葉に思わず頷きましたので、いかに紹介させていただきます。
野々村戒三著『能楽古今記』
能楽への取っ付きにくさのひとつを、的確に書いてらっしゃいますね。昭和6年時点でこう嘆いてらっしゃいますが、それから80年経った現在、この方向性でいうとますます大変なことになっているばかり。
まず能楽の元になった話を知らない。それらの説明を入れることになるのですが、ただ説明されたたけでは「愛着」に至らないんですよね~。ああ、難しい。
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