囃子の会で大鼓を打ってきました。全体的にはとても楽しかったです。力一杯打てましたし。
ただ稽古ならともかく本番となると、私はとにかく精一杯…というと多少聞こえが良いですが、結局「余裕がない」んです。手の痛さは意識のどこかに吹っ飛んでしまって、汗をダラダラ流しながら、声を張り上げて打った…んですけど、それだけ。何十回も繰り返してお浚いしたのに、ただ丸暗記しただけで、コチコチに硬くて非常にガツガツした大鼓だったと感じています。書いていて連想したのは「遊びのないハンドル」。一番の見せどころでは急に不安を感じ、謡や他の囃子を探ってしまって見事にコケましたし。それがひたすら悔しくて。
「余裕がない」のは大鼓に限ったことではなくて、私の場合何をするにしても、ですけれどね。「余裕がなくて失敗」か、逆に「余裕こき過ぎて失敗」というパターンが多いのです。もっといろんなことに余裕が持てる人間に成長するには、どうしたら良いのでしょうね…。
囃子の会、お疲れさまでした。
私も会の後は、必ずへこみます(笑)
余裕ないのも同じく(^^;。でも先生には
「君はなんで、そんなに堂々としているのか?」と感心されます・・・・。
そう見えるんです・・・・内心はびくついているのに・・・。
何でだろう?と思いますが(笑)
あら 柏木さん
その若さでもう余裕がほしいとは
それでは私なんぞはどうしましょう(笑)
舞台を沢山見て目を養い、本を読んで理解を深めたとしても
自分が打ち、舞うためには長い年季がいるのですねえ。
でも続けているとある時ひとつ階段が上れたり
ふっとわかることがあってそれにつれて余裕も少しずつ
といったところでしょうか。
「稽古」とは自分の「手技」によって其のものの真髄を掴み取る努力であり、そこには知識によるよりも確かな手ごたえがあって、それこそが私にとっての稽古の喜びです。
「手技」というより「身体」方が適切かもしれません。
なんかエラソーなこと言ってます<自分
ブログでは初めまして、ですね。
先日の会ではお疲れ様でした。
そんなに余裕なかったんですか?
堂々とした打ち振りで、全然そうは見えませんでしたよ。
長くされてるだけのことはあるなあ、と思いました。
自分の方はかなり恥ずかしい舞台になってしまい(笛も舞も)、せめて次への発奮材料に、と気持ちを何とか切り替えているところです…
まあその前に、来週本番の狂言の方を覚えないといけないのだけど(笑)。
同じように多くの人の前に立って、何かをすることで見るなら、私としていることが同じだと思うので・・・。参考になるかどうかはお任せします。
ようは、場数。
慣れたら自然と余裕が出ます。
方法としては、本番中に客観的にまわりをみるように気を配る。
もしくは今の自分だけに必死にならず、誰かもっと上手い人のイメージを思い描きながらやってみるとか。
「そんな余裕が無いから困ってるんだろうが~!」
って、ツッコミたくなるだろうけど、違うんですね。
余裕があるから、そうできるのではなくて、そうするからこそ「余裕」ができるということなんですよ。屁理屈のようにも聞こえますが、「意識・気持ち」という視点でみれば、大きな違いです。
けど、場慣れを一度してしまった者から見れば、
ゆげひさんのような状態はうらやましいのです。
一度慣れてしまうと、心から「楽しい~!」って感じなくなります。余裕をもって冷静に状況を判断しながら、どのようにすれば成功するか考えながらするので、そこに「必死さ」が消えてしまうからです。余裕とはそういう弊害ももたらすのです。なんだか等価交換。
「楽しい!」と思ってやっていたことを、次に「極めよう」としだした時に、ぶつかる壁だと、私は思っています。
「余裕」とは、次にレベルアップしていくために必要な要素であり、「余裕」ができたからといって楽をするのは、愚の骨頂ですね。その時点で伸びることを止めてしまったのだから。
いくら腕が上達しても、「楽しい」と向上心を持ってやっていきたいなと、私は思うわけですよ。
長々と失礼いたしました。
稽古会お疲れ様でした。
どの曲を打たれたのですか?
私も今月末と来月の頭に会を二つ控えています。
曲は「安宅」と「巻絹」。
余裕のある舞台はなかなか難しいですね。
思ったように吹けた舞台なんてそうそうないですが
これだけ稽古してこの結果ならばこれが実力なんだと
自分に言い聞かせて、明日の稽古の糧にしています。
コメントありがとうございました~。
お返事がかなり遅くなってしまい、本当に申し訳ございません。
今から書かせていただきます!
★みゆみゆさん
会の後って、へこみますよね(^^;)
もっとこうできたはず…と思ったりしてしまって。
でも、見た目に堂々としていること、って大事だと思いますよ。
やはりびくついてるようだと、上手そうには見えませんから(笑)
★ぼんぼりさん
ぼんぼりさんが仰るように、稽古って、「身体」で
そのものを感じ取る作業で、努力ですよね。
本を読んだり、また見ているだけでは分からない部分を
感じ取ることができる、それが面白さであり、喜びだって
いうのは、全く同感です。
余裕が欲しい、というか、必死過ぎてダメだな~と
思ったということです。
★どどすけさん
お疲れ様でした~。
全然余裕がないですよ。汗ダラダラで、必死に
次の手を考えながら打ってました。特に大小ものでは、
小鼓の方にご迷惑をかけてしまったなぁ、と思いつつ。
どどすけさんの笛の出番の次が私の出番だったので、
しっかり拝聴できなかったのが残念です。
舞は拝見させていただきましたけど、堂々としていてステキでした~。
★ゆーみん
熱い書き込みありがとう!
なんだか、これを読んでいて、いろいろ助かった気がしました。
書き込みの内容もそうだし、書き込んでくれた
ゆーみんの気持ちが嬉しくて(^^)
客観的に見ることのできる力は欲しいですけれど、
必死さは失いたくないというのは、全くその通り。
まあ、上の文章を書いてから、ある程度時間が経って、
今は、私はまだ、ただ必死に打つレベルなんだろうな、と
思っています。余裕は欲しいけれど、作ろうとするのではなく、
周囲を受け止められるぐらい、自分がしっかり打てるように
なれば、と今の稽古への姿勢ですな。
★瀬山さん
コメントありがとうございます。
曲は『巻絹』でした。
悔いのないだけ稽古はしたいですね。
本番で稽古の8割も出せたら良い方だということを
思い出して、もっとこれからも稽古に励みたいと
思います。