さて前回の続きです。今年四度目の『翁』を見ました。…といっても文楽初春公演であった『寿式三番叟』のこと。能舞台を模したセットの中で、人形による『翁』が演じられました。幕から最初に面箱を持った千歳が登場、続いて翁。急に三味線がテンポ良くなったかと思うと、三番叟も走り出て来ます。なぜか2人いますけれど(笑)
最初に能楽にはない言葉がありますが、それが終わると小鼓の音。
イヤー△ イヤー△ ホォ△ △△(←△は鼓の音と思ってください)
あの『翁』特有の小鼓の手です! 舞台上に囃子方はいないので、確かめることはできませんが、どうやらきちんと三丁で打っているらしい。いや~大好きな手なので、文楽でも聞けるなんて嬉しくなってしまいます。「とうとうたらりたらりら…」の謡もそのまま義太夫節で謡われます。
千歳が舞っている間に、翁は人形のかしらに白色尉の面をかけて”翁”の完成。上の写真の通り、完全に能の翁太夫の姿です。思わず感動。義太夫の言葉も、ちょっといろいろ増えてますが、全体的には能楽の『翁』を踏まえたものとなっています。
翁は舞が終わると、正面に向かって袖を捌いてお辞儀をして退場。「おおさへおおさへほふ悦びありや悦びありや…」の言葉とともに三番叟が動き出して揉之段。続いて千歳が鈴を渡して鈴之段。三番叟が二人いるので、鈴も2つです。
鈴之段では三味線の激しい演奏に乗って、2人の三番叟が激しく舞い狂います。途中で、三番叟の片方が息切れして休んだり、それをもう片方が捕まえて再び舞わせ今度は逆に自分が休んだりと、滑稽な仕草もあって楽しめました。鈴之段になると、だいぶ雰囲気が普通のお祭っぽく砕けてきて、能楽の「三番叟」とは異なってますが、これはこれで楽しいものです。
ただ三番叟は黒色尉の面をかけないんですよね。だから千歳が鈴を渡す時に「色の黒い尉殿」と呼びかけますが、黒くないし尉でもないやん!とツッコミを入れたかったです(笑)
続いて『太平記忠臣講釈』七条河原の段・喜内住家の段。「太平記」とありますが、赤穂浪士による吉良邸打ち入り事件、いわゆる『忠臣蔵』の世界です。江戸幕府は同時代の武家社会の事件を人情浄瑠璃や歌舞伎として上演することを禁じたので、室町初期を描いた軍記物語『太平記』に仮託されたんですね。
事件の場に居合わせながら主君を討たれてしまい、武士を返上した矢間重太郎。その家族を中心に据えた部分です。細かいストーリーは書きませんが、こういう時代物に描かれる「家族や自分を犠牲にしても貫く武士の忠義」というものが、私、大の苦手らしいことが分かりました(笑) たぶん、大阪松竹座「寿新春大歌舞伎」で『仮名手本忠臣蔵』を十分に楽しめなかった理由も、その辺りにあるのではないかな、と。
能や狂言では、そういう風に忠義を貫く様を描く曲ってあまりないんですよね。今まで私が見た曲では能『満仲』(観世流『仲光』)に主君の子どもの代わりに自分の息子を殺すって箇所がありましたが、他にはあまり記憶にありません。狂言になると、能以上に忠義よりも自分に正直な等身大の登場人物がゴロゴロしてます(笑) でも、それが自然だと思うんです。
ただ今回見た『太平記忠臣講釈』では、重太郎の妻おりゑにかなり感情移入できたので、楽しめました。長患いの舅・喜内と疱瘡(天然痘)の息子・太市郎を抱えて、家族に偽って惣嫁(街頭に立って客を引いた娼婦)をしてまで、一家を支えたおりゑ。しかし夫の重太郎は忠義を貫くため、やっと疱瘡から回復した太市郎を斬ってしまいます。まだ重太郎は忠義と情の間に葛藤する様が描かれているので分からないでもないのですが、理解できないのが舅の喜内。
仕方なく子を斬り、臥して泣く重太郎に対して、喜内が「重太郎でかした!」と声をかける時には、何がやねん!と思ってしまいました。しかも続いて懐から金子を取り出しては「この年月の貧苦にて、たとへ飢ゑ死するとも、忠義の金には手を掛けまじ」と自慢げに語ります。…飢え死にしたら忠義も何もない、ただの自己満足。むしろ忠義を貫きたいなら生き伸びなアカンやん、と冷めた目で見てしまうのは現代人だからでしょうか。嫁の苦労も知らずに…。
昨晩夫に惣嫁に立っているところを見られた申し訳なさと更に息子を失った悲しみで、結局おりゑは自害してしまいます。さすがに死骸に抱きつき取り乱す重太郎。しかし、喜内は「主人のためなればこそ…立君(惣嫁の別名)となる心遣ひ、かほどの忠臣重太郎を子に持つたこの親父、我はちつとも悲しうない…祝ふて目出度う別れの盃」とのセリフ。こいつ理解できへん、と思った瞬間でした
このような喜内のセリフを聞くと、逆にもう死んだおりゑが不憫で。遺言に「一つ裾の切れし私が袷、坊がよそ行きに縫ひかけ置候ふが、心がかりに候ふまま、死骸に着せて御葬り頼り上げ参らせ候」とあったのが涙を誘います。重太郎の妹おむつ(浮橋)や姑は、心情的におりゑの側に立っているようですので、男女の価値感の違いを分かりやすく描いているのかもしれませんけれど…。
喜内に対して腹を立てるということは、それだけどっぷりとハマり込んで見ていたわけです。そうそう、喜内が重太郎を送るときに「げに名を惜しむ弓取りは。誰もかくこそあるべけれ。あら優しの…」と能『実盛』の一節を謡うのが、また腹立たしかったり。文楽の中に能の謡が出てきて嬉しくもあったのですが、複雑です(笑)
「喜内住家の段」後半を語られた竹本住大夫さん、やっぱり良かったです。特におむつが読み上げるおりゑの遺言が切なくて…目許が熱くなりました。ちなみにこの初春公演は「竹本住大夫文化功労者顕彰記念」でした。
最後は『卅三間堂棟木由来』の平太郎住家より木遣り音頭の段。柳の精が人間と結婚して、子も儲けるものの、元の木が三十三間堂の棟木にされるため切り倒されてしまい、突然の別れとなります。切り倒された柳の木は家族との別れを惜しんで動きません。息子・みどり丸が綱を引くと柳が再び動き、みどり丸は「母様」と泣きつくのでした。
異類婚と人情が絡まった話。これは楽しく見てましたが、特に最後の調子の良い木遣り音頭が楽しかったです。「和歌の浦には名所がござる、一に権現、二に玉津島、三に下り松、四に塩釜よ、ヨイヨイヨイトナ」
文楽を見るのは3度目ですが、1度目よりも2度目、2度目よりも3度目がより楽しめてます。今回は席が後ろで、せっかく少し興味を持ち始めたかしらが見えなくて残念だったので、次見る時はもう少し前の席で見たいものですね。
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→涸井戸スコウプ:[舞台]初春文楽公演@国立文楽劇場
文楽に忠義のものが割と多いのって、作られた時代が時代だからでしょうか? と思ってしまったのですが…。どうなんでしょう?関係あるものなんでしょうか…。
★亜貴さん
どうなんでしょうねぇ…文楽や歌舞伎は初心者ですから、
何も大した事はいえませんが、忠義というか「武士道」が確立されたのは
江戸時代ですから、それを反映しているようには思うんですけどね。
能や狂言の曲は、大半が江戸時代以前に作られたものですし…。
…能にも、いくらかは忠義の曲があったと記憶しています。でも、文楽にしても歌舞伎にしても、「武士道」の精神を根底においている気がしてならないです…。文楽の有名な「菅原伝授手習鏡」も、「忠義」が基盤になっていますし。
時代、ってあるんですねぇ…。
能にも忠義はありますよね、当然。
『満仲』でなくても『安宅』だとか。
『菅原伝授手習鏡』にも息子を主君の子の代わりに
殺す場面があるんですよね、確か。う~ん。
こんにちは。初めまして。
私は文楽はわりとよく見ていますが、能はあまり知らないので、能に詳しい方から見た「寿式三番叟」の記事、とても興味深く読ませていただきました。
文楽にはたしかに、「忠義」とか、封建道徳が賛美されるような枠組みの演目がけっこうあります。
でも、そこに描かれている人間ドラマは時代を超えたものがあるので、共感できることが多いんです。
演目によって、いろいろですけども。
このブログ、内容が豊富ですごくおもしろいです!
またおじゃまさせていただきますね。
文楽初春公演…寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)
文楽初春公演は着物姿のお客も多くて、劇場が華やかな空気に包まれる。昼の部はお祝いものの「寿式三番叟」で幕を開けた。
この演目の元になっている能の「翁」は、能の数ある曲の中で最も古く、別格の扱いを受けている。一種の神事であり、儀式なのだ。
文楽
文楽初春公演…太平記忠臣講釈
二つ目の演目は「太平記忠臣講釈」。住大夫さんの文化功労者顕彰記念の出し物である。これは「仮名手本忠臣蔵」と同じく、赤穂浪士の話を『太平記』の世界に移したものだが、上演される機会が少なく、私も今回初めて見た。
塩冶判官(えんやはんがん)の家臣で仇
1go1exさん、こちらにもコメントありがとうございます。
能楽の『翁』(式三番)も良いですよ(^^)
粛々とした、いかにも「神事」という雰囲気は他ではなかなか味わえません。
能楽堂の正月公演のほか、関西各地の神社で奉納されているので、
機会があれば是非見てくださいませ。
別に忠義とか、昔の道徳が悪いことだとは思いません。
むしろ最近は、自分自身を含めて、
あまりにそういうことがいい加減で嫌だなぁと思っている方です。
でも、それだけが唯一無二の絶対的価値みたいにいう
『太平記忠臣講釈』の喜内には
私はちょっと理解がついて行かないと感じた、というまでです。
今、『平家物語』を楽しく読んでますが、
これも言わば"武士の物語"なんですけれど、
武士は武士でも、江戸時代とは全然違うんですよね。
どうも江戸時代の観念的な武士には違和感を覚えるようです。
観念的な、というのは実際の武士は
こうでもなかっただろうなぁとも思うので(笑)
だからといって、『太平記忠臣講釈』が面白くなかったかというと
そんなことは全然なくて、おりゑに思いっきり感情移入して
楽しんでいる(というと語弊がある?)んですけれどね(笑)
またいらして下さい(^^)