不良キリスト教徒の私ですが、今年も無事にクリスマスを迎え、イエス様の降誕を祝うことができました。
今年はいろいろありました。JR宝塚線の脱線事故は、身近に起きた大事件でしたし、個人的にもいろいろありました。未だに何を信じたら良いのか、分からずに迷っていることもあります。けれど今日はとりあえず、生きていられることに感謝です。
宗教っていろいろ言われますけれど、一人で生きている訳ではないことを認識して、懺悔と感謝を繰り返すことって大切だと思うんですよね。宗教が懺悔と感謝のための方便だというつもりはないのですが。
イエス様がお産まれになった時、天使たちが歌ったとされる言葉が聖書に載っています。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心にかなう人にあれ」
(新約聖書『ルカによる福音書』2章14節)
暗い世相だからこそ、地には平和を祈らずにはいられません。
(なお、画像は「Little Eden」からお借りしました)
はじめまして。
昨年、狂言(特にお豆腐狂言)にはまり、時々
「能楽の淵」をのぞいています。
ただ、沢山ありすぎてまだ全然拝見できていません。
すみません。
今だってクリスマスの記事にコメントつけちゃってますし。
キリスト教徒だったとは驚きました。
私はキリスト教徒ではないのですが、幼稚園から高校まで
キリスト教主義の学校に通っていましたので、
受けた影響は大きいと思います。
ただ、日本という国は宗教がはっきりしないため、
洗礼を受ける気にはなれず、神社でお守りを買ってみたり、
だけど初詣に行っても絶対に拝まず・・・。
それですごい罪悪感を感じてしまったりして。
だけど、キチッキチッと考えすぎてただけなのかもしれません。
柏木さんのクリスマスの日の文章を読んで、そう思いました。
「不良キリスト教徒」、この言葉気に入りました。
今年は数年ぶりに教会に顔を出してみようかしら・・・。
よしえさん、初めまして。
サイトをご覧下さって、ありがとうございます。
らしからぬキリスト教徒だって自覚はあります(^^;)
神社や寺に行くのは好きですし、
部屋には『聖書』以外に『コーラン』『法華経』
『古事記』『日本書紀』が揃っていますし、
『翁』を見るためとはいえ、正月に神社に行くヤツですから(苦笑)
ただ、寺や神社では拝まないし、お守りの類は買わないです。
他宗教へは基本的にはその「郷に従う」、根本的な部分に
関わる時は敬意を抱いてお断りする、という感じでしょうか。
クリスマスのことを「Xmas」と書かず、
キリストの文字の入る「Christmas」と書くのは、
一応信者としてのこだわりだったりします(笑)
決して不良キリスト教徒であることが良いとは
思っていないのです。でも、不良であることで引け目を感じて
却って遠ざかるのでは、神さまも喜ばれないと思うだけで。
不良でも、神さまを礼拝して良いんだ…と。
新約聖書の『ルカによる福音書』15章に
「放蕩息子」のたとえがありますが、
神さまは遠ざかっていた者が戻ることを
素直に喜んで下さる方だと信じています…。
宗教は決して押し付けや強制をしてはいけないものですが、
もしよしえさんがご自分で「教会に顔を出してみようか」と
お思いなら是非(^^)