脱線事故から1年

 107名の命を奪ったJR福知山線脱線事故から今日で1年です。もうそんなに経ったのか、と感じます。

 JR福知山線は私が通学に使っていた線路ですし、妹は今も使っています。あの事故が起きた日も遅刻気味で偶然違う電車に乗ってましたが、事故が起こったその列車の何本か後の列車に私も乗っていたのです。そして107人の死者の中には、妹の友人も含まれていました。

 時々、なんでその人たちが死ぬことになってしまったのだろう、と考える時があります。事故から1週間ぐらいの頃、新聞に亡くなった方それぞれの背景についての記事が載りましたが…この人たちはもっと生きてやりたいことがあっただろうに、と思って本当にいたたまれませんでした。

 生きたくても生きれなかった人たちがいる。だからこそ、生きている人はきちんと生きる義務があるんじゃないか、なんて思ったりして。もっとも全然しっかり生きていない私が言っても上滑りするだけの言葉ですが(苦笑)

 …ともかくも些細な事でめげたり、やけっぱちになったりしている場合じゃないですね。本当に。

Pocket
LINEで送る

柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

オススメの記事

4件のフィードバック

  1. kitola より:

    “あれから1年”・・・この1年は私には「まだ1年しか時間が過ぎていないんだ」と言う感じです。とても長い1年の様に感じます。宝塚線には接点の無い私でも感じた時間の長さ。ご遺族や怪我をなさった方々、救助に駆けつけて惨状を目の当たりにされた方々を思うと、、、言葉もありません。
    どうぞ、どうぞ、ゆっくりでもいいから、元気を取り戻して、なくなった方の分まで(と言う言い方は適切では無いかもしれませんが。。。)人生を謳歌して欲しいと思います。
    そして、JRだけの事ではなく最近相次ぐ航空会社の事故等、交通機関で働いている現場の方々、上層部の方々は、常に自分も持っている、自分の家族にもある「命」と言うものを真摯に受け止めて業務に勤めて頂きたいと切に願います。
    昨日のニュースは1日、居たたまれなくて涙が止まりませんでした。。。

  2. tico より:

    車で送ってあげるよという友人の言葉に「車は危ないから電車で行くよ」と言ってこの事故に遭われて亡くなられた人のことが昨年放送されていました。私たちの意識って普通、そうでしたよね。安心して眠っていることが多いし。
    事故後、初めて神戸の三宮へ行く時は娘にメールを送り、「乗った」「降りた」「家に着いた」など書いてました。娘も気が気じゃなかったみたいでした。(離れて住んでいるのでね。)
    昨年以来、電車に乗る時は(私鉄も含め)『私は今何両目のどこに座っている。前の女性の洋服は白い。』など考えてしまいます。無事に到着して降りると忘れてしまいますが。
    『一寸先は闇』ほんとに、メール出して待ち合わせして亡くなっておられるんですものね。断ち切られた思いは整理できないでしょうね。
    すみません、お邪魔しました。

  3. ami より:

    ゆげひさんは連休もお仕事でしょうか
    なかなかブログが更新されないので
    大変なんですね・・・って
    少々おバア心がでました
    私も同志社出身なので
    なんで同志社の通学電車なん?
    ってショックでどうしようもなかった
    そういえば同志社は今は田辺にあるんですね
    私も半世紀近く生きてきましたから
    いろいろと人の生き死には出会いました
    でも本当に運命的な別れはあります
    どうしようもない
    人間ではなんとも仕様がない・・・
    最近つくづく思うことは
    この世の中に
    ひとつとして無駄なことはないのだろうと言うこと
    すべてが必然なんだと・・・
    なにか大きな力で私はここに存在しているということ
    つまらないこと書きました
    ゆげひさんのお知り合いの方々
    そしてお亡くなりになった全ての方たちのご冥福を
    心からお祈りいたします

  4. お返事大変遅くなりまして、申し訳ございません。
    ★kitolaさん
    時間の感じ方は様々でしょうが、私にはついこの間に起こった
    事故のようにしか思えなくて「もう1年」という思いです。
    事故の後、一度現場にも行きましたし、開通後も何度も
    電車で通るたびにいろいろ思う場所となりました。
    交通機関に限りませんが、命に関わる(関わるかもしれない)
    仕事というものの、恐ろしさと怖さを感じるときがあります。
    良い意味で「日常にしてしまわないこと」を大切にしなければ、
    と思います。
    ★ticoさん
    妹は、亡くなったお友だちと事故の数日後に会う約束を
    していたらしいんですよね。事故の後、連絡が通じないことを
    不思議に思って、確かめたら生死不明者のリストに名前があって、
    その後死亡を確認。
    その様子を見ていて、私は何もできませんでしたけれど…。
    でも、どこかに事故を起こした側だけを責める気持ちも
    ないんですよね。早く、という気持ちは利用者として強く持ってますし
    1分でも遅れただけで、イライラする気持ちもありますから。
    そんな気持ちを抱くことのないよう、もっと余裕を持って
    いろいろ行動したいな、と思ってます。
    ★amiさん
    更新できなくて申し訳ありません。
    もっとも仕事だけのせいではないのです。
    休みの日も、どうも家に閉じこもっているのが苦手で
    どこかに出かけてしまい、結果PCに向かう時間が
    減ってるというのもありますから(^^;)
    でも楽しみにして下さる方もいらっしゃるので、
    こまめに書いていきたいと思います。
    同志社大学のことはあまり知りませんが、今は京田辺と今出川の
    二つのキャンパスがあるんですよね。
    事故を起こした列車は、京田辺の「同志社前」行き快速列車。
    私も途中で良く乗る列車でした。
    本当に自分一人で生きているんじゃないんだな、と感じますね。