《土蜘蛛》は高級な演目ではない!?
能《土蜘蛛》についての解説文を書く事になりました。そこで何年も前の話ですが、とある囃子方の先生が《土蜘蛛》は、大夫の勤める曲にあらず、やでと仰っていたことを思い出しました。
「大夫」というのは、この場合、各流の家元の古い言い方です。つまり《土蜘蛛》は、家元のような立派な能役者が演じる能ではない、という意味でしょう。確かに《土蜘蛛》あまり能として高級な演目だとは言われていません。
しかしながら、私は、単にショー的で派手と片付けられるだけの単純な曲ではなく、なかなか魅力的な演目だと思っています。最初に登場する胡蝶の、どこか怪しい魅力もありますし、単なる蜘蛛の怪物としてみるのと、古代に大和朝廷に反抗した豪族・土蜘蛛の末裔としてみるのと、二重写しで見えてくるのはなかなか面白いです。なんといっても、ワクワクして見ることができるのは、舞台芸能として大切な部分だと感じます。
紀州藩能役者・徳田隣忠
ところで、先にも書いた「大夫の勤める曲にはあらず」という言葉。これは、手元にあった権藤芳一先生の『能楽手帖』(駸々堂、1979年)によると、元は江戸時代初期の紀州藩の能役者・徳田隣忠(1679-?)の『隣忠秘抄』に書かれている言葉なのだそうです。
徳田隣忠は『隣忠秘抄』のほかに、江戸時代初期には演じられなくなっていた《石橋》の復曲のことを記した『御世話筋秘曲』や、見聞きした話をまとめた『隣忠見聞録』などの著作を残しているらしく、能楽史を見る上では興味深い人物のようです。
とりあえず手に入る本はどんな本でも丁寧に読んでおくべきですね。『能楽手帖』のような入門書でも、いろいろ面白いことが書いてあるものだと感じました。
最近のコメント