ワキ方高安流の谷田宗二朗師が亡くなられました。
京都の能楽界で後進育成にも努め、2003年に京都市芸術功労賞。
京都新聞電子版
ワキ方高安流の谷田宗二朗師が亡くなられました。1920年生まれ。お父上である谷田民之助の代からのワキ方高安流の家だそうですが、初めワキの芸はご長男が継ぎ、ご次男の宗二朗師は二世茂山千作に師事して狂言方大蔵流の道を歩んでらっしゃいました。
しかし戦後の1948年、兄上が病死なされ、宗二朗師がワキ方へ転向することに。高安流十三世宗家・高安滋朗および岡次郎右衛門に師事。能を大阪で見ることの多い私は、京都の方である宗二朗師のお舞台を拝見することは決して多くなかったですが、とても好きな演者でした。
好きになったきっかけは、2003年4月27日に拝見した奈良金春会での能《角田川》でした。隅田川を渡る舟の中で、対岸で行われている大念仏の由来を聞かせる「語り」。人買いに京都から遠い隅田川近辺まで連れてこられたものの病気を理由に打ち捨てられ、そして亡くなった梅若丸に同情しているのでとても情緒があって。かつ同時にあくまで他人事であるための淡々としていて。
その瞬間は谷田師に完全に引き込まれていたのです。そして気が付けば、シテ梅若丸の母が顔の涙を押さえていた。これが本当に良かった。《隅田川(角田川)》は以降何度か拝見していますし、良い舞台もありましたが、あんなに衝撃の強い舞台は今のところありません。
もう一つ、私が拝見した中で印象的な舞台を挙げると、2004年10月3日に拝見した廣田鑑賞会能での能《山姥》での間狂言との絡み。《山姥》の間狂言は少し独特です。
居語りの間狂言ではよく我らもこのあたりに住まひ致せども、さようのこと詳しく存ぜず候さりながら、およそ承り及びたる通り、物語り申さうずるにて候という言葉がありつつも、その後、思わず嘘つき!と言いたくなるぐらい詳しく語られます。
しかし、《山姥》のアイの場合は、本当にあまり知りません。いろいろな珍説を語っては、ワキにツッコミを入れられます。そのやりとりに過去の狂言方でのご経験が生かされているのか、本当に「息」のあったやりとりで。素敵でした。
ワキがツッコミを入れない場合もあると聞きましたが、能の厳粛さを強調して改変された結果でしょう。能の解説書などでもこの間狂言に価値を全然おいてないのか、流すものもありますが、私はとても良い演出だと思っています。
しかし、食道癌とは…。掲示板で朝さんが書き込まれたように、最近言葉が聞きづらいなぁとは感じていましたが、それでもお舞台に立ち続けられていたことを思うと、心に強く感じることがあります。
今はご冥福と、そして後に続かれるお弟子さん方(原大師、小林努師)のますますのご活躍をお祈り申し上げます。
※参考ページ
京都新聞「劇場空間キョウト」第二部 一芸で食らう ワキ
冥福をお祈りいたします。
京都の能役者の方は私も拝見した事はないのですが、京都新聞の記事を読ませていただきました。
ワキ方がこれ程少なく、また芸で食べていく事がこれ程困難なものとは思いもしませんでした。そのため息子さんにも継がせていらっしゃらなかったとも・・・。
本当に好きでなければできない仕事ですね。
大阪の方は舞台を見るとだいたい委員長(口調がうつっちゃいました)がワキ方にいらっしゃるので、谷田宗二朗氏が新聞で語った話は意外でした。
山本哲也氏のブログにもあったのですが、大阪はシテ方不足が深刻だとか・・・。
能の舞台を簡単に見られない日がこの先くるのかな、と少し寂しい気持ちにもなります。
若い能役者さん方には本当に頑張っていって欲しいと思いました。
谷田翁が昔、狂言方だったとは存じませんでした。
拝見してみたかった!
さぞ、愛嬌のある芸が見られたでしょうね。
アイ→ワキって、すごい転換ですね。
ところで
>2004年10月3日に拝見した廣田鑑賞会能での能『山姥』
と書かれていますが、わたしがお能にはまったきっかけは、まさにこの公演でした。
そのときは、ワキツレに座って微動だにしない原さんにやられました。
それと、直角定規のようにピンと座ってらした前川光範さん。
ワキの谷田翁が何を話しているのかは、全然わかりませんでした(^_^;)
あれから月日が経ち、先日、分林御社中の会で「山姥」があり、原さんがワキを務められていましたが、このときは、原さんがすっごく真面目な顔をしてツッコミを入れるのを、「いや、そんないちいち真面目に取り合わなくても……」と見所で思わず声にしてしまうくらい笑えました。
ひとり勝手に感慨に耽る朝でございました。。。
たいそうご無沙汰しております。
京都で能を見るときには、当然のように舞台上に谷田先生のお姿がありましたので、
もう、お舞台を拝見できないと思うと、残念でなりません。
でも御門下に、確かな芸を伝えていらっしゃいます。
これからはお弟子さん方の舞台を、天から見守っていただきたいと思います。
谷田先生とお弟子さん方に一方ならぬ思い入れがありましたので、
・・・寂しいです。。
私は、京都観世会館でいつも能を拝見していて、谷田先生のワキがいちばん好きでした。あの独特の口調が大好きで、ワキが谷田先生の場合はほんとうにうれしかった。
残念です。ご冥福をお祈りします。
★yukinoさん
今年はワキ方福王流の植田隆之亮師も亡くなられましたし、
関西のワキ方が減っていく年なのかもしれません。
福王宗家の方々は一日にお舞台をいくつもハシゴしてらっしゃることも
多いですが、全体的にワキ方というのは能の中では地味ですし、
若い方のお舞台出演って本当に少ないですよね。ワキツレが時々付くぐらい。
下掛宝生流の宝生閑師も週刊『人間国宝』のインタビューで、
「食えないのが当たり前と若いころに覚悟はしていましたが、ワキは
生活がしにくいところがあります」とおっしゃってますし。
原師・小林師と少しだけお話をさせていただいたことがありますが、
お二人とも本当にワキという役がお好きなんだなとは感じました。
お二人とも好きな演者ですので、これからの活躍をお祈りしてます!
★朝さん
谷田宗二朗師、昔は狂言方だったらしいのです。
師に興味を持って、どんな方なのか調べてみたら、
経歴に「初め二世茂山千作に師事」とあって、あれ?と。
今の茂山千作師の『釣狐』の、アドをつとめられてから
出征されたと聞きました。
あの時の廣田鑑賞会能、朝さんもいらしていたのですか!
うーん、朝さんがお能にハマりこまれるきっかけとなった舞台に
私もいたと思うと、いろいろ感じてしまいます…。
★ちひろさん
谷田一門といえば、ちひろさんですね。
本当にあのお姿をもう拝見できないと思うと残念ですね。
お年でしたし、近かれ遠かれいつかは来ることだったわけですが、
もっとお舞台を拝見していれば良かったと後悔の念があります。
原師・小林師のお舞台、見に行きたいです…。
★もみじさん
初めまして、ですね? コメントありがとうございます。
本当、残念な演者が亡くなりました…。
できることはご冥福をお祈りすることだけ。