「あれを見よ不思議やな」―時代を越えてツッコまれる《田村》の謡

能《田村》替装束

千手観音が活躍する能《田村》

能〈田村〉は平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂による鈴鹿山の鬼神退治を描いた作品です。ですが、謡曲本文を読む限り、田村麻呂よりもむしろ、彼が信仰する千手観音が活躍しています。以下の通り。

味方の軍兵の旗の上に、千手観音の、光を放って虚空に飛行し、千の御手ごとに、大悲の弓には智恵の矢をはげて、一度放せば千の矢先、雨霰と降りかかって、鬼神の上に乱れ落つれば、ことごとく矢先にかかって鬼神は残らず討たれにけり能《田村》(引用は観世流大成版より)

しかし、この場面、弓矢は両手を使う武器なので、「いくら千手観音でも飛ぶ矢は五百本ちゃうん?」というのは、謡を稽古する人の中では割とよくいわれる〈田村〉へのツッコミです。

江戸時代からツッコまれ続けている

これ、とっても古典的な話だったらしいです。偶然なのですが、こんな江戸時代の川柳を見つけました。

観音の千の矢先に五百うそ

「五百うそ」と言い切っているあたりが、良いですね。これは最近手に入れた日本名著全集『謡曲三百五十番集』(昭和3年)に挟まれていた月報『書物愛』に、擔板漢という筆名で書かれた「謠曲を取入れた川柳」と題した小文に載っていたものです。

ネットで検索してみると、他にも似た句が見つかりました。

大悲の矢五百本ほど掛値なり

掛値は値切られることを予想して、最初から高めに値段を設定すること、転じてここでは物事を大げさにいう意味です。

ちょっと調べると、川柳には謡曲が元ネタになっているものが多いことが分かりました。江戸時代当時の基本教養だったから、ですね。

謡曲ネタの川柳を紹介しているサイト(柳多留と謡曲―謡曲の統計学)を見つけたので、リンクを貼っておきます。

こういうのを知ると、風流で楽しいなぁと思います。

Pocket
LINEで送る

柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

オススメの記事