能『雲林院』は、『伊勢物語』の昔男が姫を盗み出す話を元にした曲です。
本当に深窓の姫で外出したこともなく、逃げる途中に草の上についていた露を「これは何?」と聞いたりします。武蔵野まで逃げた男は、降ってきた雷雨を避けるため、とある廃屋に姫を休ませ、自分は追手を警戒して武装して入口を守りますが、その廃屋には鬼が住んでおり、姫は一口に食べられてしまいます。叫び声も雷雨にかき消されてしまうのでした。後になって気付いた男は「白玉か何ぞと人の問ひし時露と答へて消えなましものを」という和歌を詠んで悔やむのでした。
あらすじはこんな感じの話。続きに後の人が追記した文章があって、男は平安時代一の色男・在原業平であり、姫とは天皇家に嫁ぐことが決まっていた後の二条后(藤原高子)であって、鬼ひと口に食べられたというのは実は高子の兄・藤原基経が奪い返したのだ、なんてことが書かれています。平安時代の天皇家・藤原氏と、その他の氏族とのスキャンダルを含んだ対立を描いているとして、昔から有名な話です。
現在、演じられている『雲林院』の能は、『伊勢物語』の愛読者(ワキ)の前に在原業平の霊(シテ)が現れ昔の姿を見せ、月明かりの桜のもとで序之舞を見せる典雅な曲です。しかし、世阿弥自筆の能本に伝わっている『雲林院』は全く違って、二条后の霊(ツレ)が『伊勢物語』の秘事を明かしているところに、基経の霊(シテ)が鬼の姿で現れ、妹を奪い返した様子を再現する、というものなんだそうです。
世阿弥が『雲林院』を書き残した後になって、誰かがさらに改作を加えたわけなんですね。現行の『雲林院』も好きですが、鬼神の登場する能もワクワクするので好みですし、藤原基経という摂関家の基礎を築き上げた古代の一流政治家が舞台に登場するなんて、古代史ファンとしても是非見てみたい。そんなわけで前々から世阿弥本による演出で『雲林院』が上演される機会はないものかな、と思ってました。
その上演が大阪で明日、大槻能楽堂自主公演「能の魅力を探るシリーズ『伊勢物語』」でなされます。大槻能楽堂ってやっぱり嬉しい公演をやってくれて良いですね。GW中はずっと仕事だった分、休みも取れましたし、楽しんでこようと思います。
大槻能楽堂 能の魅力を探るシリーズ『伊勢物語』
◆5月7日(日)14時~ 於・大槻能楽堂(大阪市中央区)
★お話「『雲林院』の陰翳」中西進
★世阿弥本による能『雲林院』
シテ:浅井文義 ツレ:上野雄三
ワキ:中村彌三郎 ワキツレ:森本幸冶・是川正彦 アイ:網谷正美
笛:左鴻雅義 小鼓:荒木賀光 大鼓:河村大 太鼓:三島元太郎
地頭:大槻文蔵
●一般:3,800円(当日:4,300円)、学生:2,300円(当日:2,800円)
■チケットぴあ(Pコード:365-967)、ローソンチケット(Lコード:53893)取扱
<問い合わせ先>大槻能楽堂 06-6761-8055
以下余談ですが、世阿弥本と現行の演出が違うものには他に『弱法師』もあります。弱法師に奥さん(ツレ)がいて、天王寺の僧侶も複数登場。シテ1人、ワキ1人で展開する現行よりも彼岸会の華やかさを強調した演出になっているようです。こちらも機会があれば、見てみたいと思います。
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→世阿弥本『雲林院』その2
『雲林院』って、元はそういう話だったんですね!!
鬼にお姫様が食べられちゃうって聞いたことあるーー!!
元の曲の能おもしろそう!!
観てみたいですね!
再現とかして欲しい!!!
知識があれば面白いのかもしれませんが、今の私にとって現在の『雲林院』は、ちょっとつまらない感じでした;
困り顔の業平がゆらゆらーと舞っているかんじで;
話が飛びますが、ゆげひさん、以前は私と近いHNをお使いだったんですね!
私は実名が柏●なので、このHNは、名字の文字を分解して出来ました(笑)
ではでは!!
世阿弥の時代が遠い昔とはいえ、『雲林院』のように
あらすじからして全然違うのは珍しいと思いますよ。
世阿弥自筆の『難波梅』(『難波』)を見た時は詞章を見る限り、
現行とほぼ同じだなぁと思いましたし。
能の前に、中西進教授によるお話があり、
公演の感想と併せて、そのうち書きたいですが、
(今のペースでホンマに書けるのかなぁ)
本当に鬼(藤経)がお姫様(高子)を食べちゃったんじゃないか、
なんて話もあって、面白かったですよ。
世阿弥本による上演は、1982年に試演されて以来、
時々なされているみたいですから、探していれば
またあると思いますよ(^^)
現行『雲林院』…「困り顔の業平がゆらゆらーと舞ってる」ですか!
確かに(笑) 中将の面って妙に眉間のあたりに皺が寄ってますもんね。
でも大鼓で『雲林院』の稽古を受けた時、詞章を読み込んでから
聞くと、味わいが出てきましたよ。
是非懲りずに、良い演者でまた見てみて下さい。
木白山さんは本名由来のH.N.なんですね。私は全然違いますけど。
でも、ネットの知り合いの方が「柏木さんって人、現実にも
いるから、H.N.でも呼び易い」と言ってらっしゃったことがあります(笑)
「白玉か」の歌の直前の地の文「足ずりをして泣けどもかひなし」、なんだかとても印象に残ってます。
世阿弥本『雲林院』、面白そうです。
世阿弥本『弱法師』を清和師のシテで見ましたが、とても華やかな印象の舞台でした。高安通俊は狂言方(私が見たときは、野村又三郎師)でしたが、ずーっと無言。俊徳丸を息子と気づくところも、無言で所作であらわしていました(終わりで少し口をひらいたかな?)大変な役だなあと思った記憶があります。
「足ずりをして…」印象的な文章ですよね。
『伊勢物語』を始めて読んだころは、
「業平や高子と関連付けずに読むのが本来の文章」と思って
読んでましたが、関連付けることによって、こんなに世界が
広がるなんて思いもしませんでした。
「踏まえる」って、日本の文化のポイントな気がします。
世阿弥本『弱法師』をご覧になったことがあるんですね~。
『弱法師』といえば、渋系の印象ですが、やはり華やかな感じに
なるのですね。父親は狂言方の役割なんですか!
ますます見たくなりました。