前回書いた研和会から1日空けて、14日。小鼓方幸流の成田達志師と、大鼓方大倉流の山本哲也師が催されている「TTR能プロジェクト2006公演・望月」に行ってきました。まさに「待ってました!」な能会です。
TTR能プロジェクト公演2006・望月
◆7月14日(金)19時半~ 於・大阪能楽会館(大阪市北区)
★解説 河村晴道
★観世流能『望月』
シテ(小沢刑部友房)=味方玄
ツレ(荘司友春の妻)=寺澤幸祐
子方(荘司友春の子・花若)=赤松裕一
ワキ(望月秋長)=宝生欣哉
アイ(望月の下人)=茂山千三郎
笛=竹市学 小鼓=成田達志 大鼓=山本哲也 太鼓=前川光範
地頭=片山清司
TTR能プロジェクト2006公演、とても素敵な公演でした。もちろん演技も良かったのですが、見所(能楽堂の客席)も良かったです。チケットは完売だったそうで(私が買ったとき「最後の一枚です」と言われた・笑)、本当に大入りだったんですけれど。
TTR能プロジェクトの能楽堂公演では、開演前に、能役者の方による面白い携帯電話の電源オフや写真撮影の禁止などの呼び掛けが恒例なんですが(一昨年までは笛方藤田流宗家の藤田六郎兵衛師。去年と今年はTTRのお二方)、その効果もあったのか、携帯も鳴らず、お喋りもほとんどない、とてもマナーの良い見所でした。
最初に少し喋ってる方もいましたが、周囲から一斉に「しっ!」と注意の集中攻撃を受けてあとは沈黙(笑) 研和会の時と比べて、客席が舞台に集中していることがありありと感じられる。良い舞台って、客も参加して作り上げることを感じました。
最初はシテ方観世流の河村晴道師による解説。最初に「初めて能を見られる方?」と客席に聞いてみると、ほとんどいませんでした。活動開始時には、初めて能楽堂へ来たという人が多かったものですが、4年が経って、着実にファンを掴んでいらっしゃったみたいです。(まあ、味方玄師のファンもいるんでしょうけれど…)
初めて能を見る方はほとんどいない、と知った晴道師。『望月』の空間処理、なんてちょっとマニアックな解説を始められました(笑) 舞台と橋掛りを使って、場面がどのように展開して行くのか…あまり考えたことがなかったので、とても楽しい解説でした。シンプルな能舞台だからこそ、ちょっとした所作で場所を変えていくことができる。能って奥深いです。
『望月』あらすじ
望月秋長に討たれた、荘司友春の一家は離散してしまう。友春の家臣であった小沢刑部友房は近江国(現在の滋賀県)で「甲屋」という宿を営んでいる。そこへかつての主人の妻と子が訪ねてくる。再開を喜びあったのも束の間、今度は京都から望月秋長の一行が宿に泊まることになる。友房はかつての素性を隠し、甲屋の主人として振る舞いながら、母子と望月を討つ計画を練るのだった…。
いわゆる「能らしい能」ではありません。忠義・仇討ち。なんだか歌舞伎でやってもおかしくないようなテーマ。でも、宿の主人・友房の、かつての主君への忠義、主君の妻や子を守ろうとする思い、望月への緊張、そういったそのを背負っているかのような強さ。この強さが「能らしい」とやっぱり思うのです。
望月の一行は、荘司友治を殺害した裁判の関係で、13年間も京都に留められていました。しかしようやく本領安堵を認められたその帰りなので、気持ちは晴れやか。狂言には、裁判で長く在京をしている大名がいますが、望月もそういった中のひとりなんでしょうね。帰る時ですから狂言『入間川』の前半のような大きな気持ち。最初に登場した時の謡にも「帰る嬉しき故郷を」とあります。
そう考えると、アイの下人は大名に仕える「太郎冠者」。実際に装束も太郎冠者スタイルです。主人と一緒に気分が大きくなっているらしく、「めでたい帰り道だから、良い宿を取ろう」といって甲屋を選ぶのです。宿の主人・友房から「さてご名字をば何と申す人にて候ぞ」と言われ、「信濃の国に隠れもない大名。望月の秋長…」とまでいいかけて、主人から仇を持つ身なので名前を隠すように言われたことを思い出し、「…ではおりないよ」と慌てて取り消したりして。
後半は『放下僧』と似ていて、友治の妻が盲御前に扮して謡を、花若が稚児に扮して八撥を、主人は獅子舞を見せて、芸能尽くしの中で油断したところを討つという形。「一萬箱王が親の仇を討ったる所を謡ひ候べし」という妻に対して、アイが「障りがあるから別の曲を」というのですが、望月は「苦しからず候」と大きく構えます。
「一萬」と「箱王」は、『小袖曽我』などに登場する曽我兄弟の幼名。ある日、兄が持仏堂で不動尊に花を供えていると、弟が不動を親の仇の「工藤」と聞き間違えて、斬りかかろうとする…なんて内容が謡われるんですが、後半はどんどんとテンポアップ。
最後の言葉「許させ免させ給へ南無仏。仇を討たせ給へや」に反応して、子が「いざ討とう!」とはやり立つ。一気に舞台上に緊張が走ります。友房は「八撥を打とうといったのだ」と取り繕いますが…望月一行と、母子の間に立っている友房が一番力強く見えた俊寛でした。味方玄師、本当にカッコよかったですね。
最後の獅子の舞は最高。ヒィーと甲高いヒシギの笛から、小鼓・大鼓・太鼓の迫力のある掛け声。豪壮というのが相応しいです。…やっぱり良いなぁ、獅子。生で良い演奏を聞いてしまうと、CDでは物足りなくなってきますね(^^;)
東京から来演のワキの宝生欣哉師。最初に登場した時の「帰る嬉しき故郷に」と聞いたとき、その独特さを改めて感じましたが。でも、『望月』のようなシテと対立する役は絶品だと思います。子方の赤松裕一くん、やたらまばたきが多いのがちょっと気になったけれど、能を演じるのが本当に好きなんだな、と楽しげに羯鼓を舞っていたように思います。アイの茂山千三郎師も、久しぶりに「(狂言師ではなく)狂言方としての千五郎家」をきっちりと見せ付けてくださったように感じました。
地謡も京都・大阪の混合メンバーで、とっても良かったですし。こんな会がもっとあっても良いのになぁ…。それとも、たまにだから価値があるのでしょうか?(笑) 久しぶりに見に行って、心の底から良かったなぁと思った会でした。
■関連記事
→かえでの徒然雑記:TTR能
→空転滑車(仮): 能。「望月」
柏木さん
ごぶさたしておりました。
柏木さんが「人恋し病」にかかっていると伺って、馳参じました。
欣哉さんの謡は独特でしたか?!自分は毎日のように欣哉さんの謡や詞を聞いていたのであの世界が当たり前になっていました。「草紙洗小町」の黒主とか悪役が似合うのですよね、この方は。
それにしても、「最後の一枚」とは幸運でしたね。
こちらは銕仙会のチケットを人様に差し上げて駆け付けたのですが、全く舞台の観られないお席でございました。(涙)
この公演を観ながらずっと思っていたこと。
どうしていつもこのように静かにして観れないのか
ということです。
良い能(舞台)を観たいなら、観客も頑張らないと。
そう痛感した舞台でした。
★不心得者さん
お久しぶりです。
いきなりのご挨拶だったので、ちょっと面食らいましたけれど、
少しでもお話できて良かったです。
前に「物足りない」「人恋しい」などと書き散らした結果、
ご心配くださったのですね。ありがとうございました。
宝生閑師や欣哉師のワキを拝見するのは何度もありますし、
好きな方なのですが、なにせ久しぶりだったので、
「ああ、この謡! 下宝生だなぁ」なんて拝聴してました。
TTRの初回公演で、『自然居士』の人商人を演じてらっしゃいましたが
これも似合うんですよね。『草子洗小町』は閑師で拝見したことがありますが、
欣哉師もお似合いでしょうねぇ。
関西では、ほぼ毎回福王家なので、そちらに慣れてしまってます。
上品な感じは好きではあるのですが。
全く舞台の観られないお席?
大阪能楽会館でもそんな席があるんですねぇ。
★kaki3さん
まあまあまあ…あまり堅苦しく考えずとも。
映画だって、上演前に携帯電話の電源オフや
おしゃべりの禁止などを呼びかけるわけで。
むしろ当然のことなんですけれどね。
…能楽の客は、その当然のことができないレベルの低い人が
多いってのはファンとして悲しい話ではありますが。
一観客としてできることは、まず自分は絶対にしないこと。
そして見つけて、声のかけられる範囲なら、
積極的に呼びかける。それに尽きるかと。