ただ「大阪新春公演」と書いてある
もう1月ほど前の話ですが、先月17日に梅猶会(初世梅若万三郎の五男・梅若猶義に始まる観世流の一門)の定期能を見に行ってきましたので、記録として書いておこうと思います。
なお会場である大阪能楽会館入口には「大阪新春公演」としか書かれてませんでした。チラシにも同様。一応「主催 梅猶会」とはありますから梅猶会の大阪新春公演という意味でしょうが、「大阪能楽会」(そういう名前の団体は存在しないと思いますが)の新春公演のように勘違いしてしまいそうですね。
《富士太鼓》はすっきりした構成?
能は《富士太鼓》と《大会》。《富士太鼓》は何度も見ているのに、今回の舞台を見て「すっきりした構成の能だなあ」と初めて感じました。
功を競う太鼓の楽人同士の争いで殺された男(この男の名前が「富士」)の妻子が主人公の能で、都へ上り、妻は故人の舞台装束を身に着けて狂乱の体で舞い奏でる…という能ですが、改めて舞台の展開を整理してみると
- ワキ臣下による富士が殺害された経過説明
- 富士の妻(シテ)と娘(ツレ)の登場
- 妻、事件を知り驚愕
- 妻、形見の装束を渡され愁嘆
- 妻、装束を身に付けて、富士の霊が憑依したと狂気する
- 狂乱の舞
- 狂乱から祝言に昇華して、最後は正気に戻って終曲
となります。能に時々ある景色や故実を延々謡う場面があまりないので「すっきりしている」と感じたのでしょうか。改めて見てみると《富士太鼓》って、変わった曲なのかもしれませんね。
あと、これは私個人の問題ですが、私にとって能を楽しむには、読んで頭で考えるだけではダメで、言葉を丹念に読むことと、舞台で見ることと、演出を知ることと、全部を重ねあわせながら楽しむものなんだなぁ…と改めて思いました。
コミカルな話をドッシリとまじめに
もう一番の能《大会》。この能は、天狗が昔、命を助けてくれた僧に恩返しのために、リクエストされたお釈迦さまの法会を気合入れて再現したら、再現度が高すぎて僧が本気で拝んでしまう。その行為が僧を堕落させる行為だとされて結果、天狗は帝釈天にシバき倒される…という話。
毎回見るたびに天狗が可哀想だと思いますが、仏教的世界における重大なルール違反なんでしょうね。ルールというのは守られる秩序にこそ意味があって、そこに個々の事情はあまり関係はない、そんな背景があるのではないかな、と想像しました。
天狗ものの能でも、この《大会》や《車僧》《是界/善界/是我意》などは、あまり真面目に考えるより、童話に近いものとしてとらえる方が良いように思います。どこかコミカルさがあり、それをドッシリとくそまじめに演じられる所に面白さがあるんじゃないか、と感じたこの日の能《大会》でした。
なんといっても後半、「大べし見」の面の上に更に「釈迦」の面をかけ、赤頭と大兜巾を大きな頭巾(装束附によると「大倉頭巾」)で覆い経巻と数珠を持つことで、天狗が見事にお釈迦さまに化ける。そして、帝釈天の登場とともに、その扮装を一気に解いて、早変わりする。このビジュアルの変化は見ていて素直に楽しいですね。
扮装ついでに、この日のツレ帝釈天の面「大天神」は、一見「顰」にも見えるほどの厳しい顔つきのものでした。さらに下半身に履いているのも白大口ではなく、赤地の半切だったこともあって、普段以上に強々しい帝釈天(それだけに天狗が哀れな)印象を受けました。
山口耕道師がメインの狂言
なお、この日は京都で京都観世会の新春能、神戸では上田家の追善能が催されていたこともあってか、ワキ方・狂言方は普段はワキツレやアドなどを中心に活躍される方々が中心の少し珍しい配役となっていました。
狂言は茂山忠三郎家の出勤でしたが、当主の茂山良暢師は別のところへの出勤だったのか、亡くなられた忠三郎師の高弟である山口耕道師をメインに、若手メインの配役でした。耕道師が好きな私としてはちょっと嬉しいですが…。
梅猶会 大阪新春公演
2016年1月17日(日)13時~。於・大阪能楽会館
★観世流能《富士太鼓》
シテ(富士ノ妻):立花香寿子 子方(富士ノ娘):浅見悠花 ワキ(臣下):喜多雅人 アイ(太刀持):新島健人
笛:貞光訓義 小鼓:成田達志 大鼓:上野義雄
後見:梅若修一・今村哲朗 地頭:池内光之助
★大蔵流狂言《腹不立》
シテ(出家):山口耕道 アド(施主):岡村宏懇・桝谷雄一郎
★観世流仕舞《蝉丸》小川晴子
★観世流仕舞《弓八幡》梅若基徳
★観世流仕舞《采女キリ》池内光之助
★観世流仕舞《笠之段》梅若猶義
★観世流能《大会》
シテ(山伏/天狗):井戸良祐 後ツレ(帝釈天):梅若雄一郎 ワキ(比叡山ノ僧正):廣谷和夫 アイ(木葉天狗):山口耕道・山本善之・新島健人
笛:左鴻泰弘 小鼓:上田敦史 大鼓:森山泰幸 太鼓:上田慎也
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