君ならずして─『井筒』

 大阪能楽会館へ大西松諷社定期能を見に行って来ました。目当ては大西礼久師の『井筒』。私は『井筒』を見るのは二度目です。前回は一昨年の能楽協会大阪支部特別公演、大槻文蔵師のシテでした。が…私、重い能は何度か見なければ消化できないのです。今回でやっと、少し『井筒』の面白さが感じられたかもしれません。

大西松諷社定期能
◆12月17日(土)13時~ 於・大阪能楽会館

★観世流能『井筒』
 前シテ(里女)/後シテ(紀有常の娘)=大西礼久
 ワキ(旅の僧)=江崎金治郎
 アイ(里の男)=善竹忠一郎
 笛=左鴻雅義 小鼓=久田舜一郎 大鼓=大村滋二
 地頭=平野元章

(番組省略)

能『井筒』あらすじ
 旅の僧が大和初瀬の在原寺を訪れると、若い女が現れて荒れた古塚に水を手向ける。女は僧にこれが在原業平の墓だと教え、業平と幼馴染だった有常の娘との井筒にまつわる恋物語を話して聞かせるが、やがて自分はその娘の霊だと言って、井筒の陰に姿を消す。(中入)
 夜が更けると、女は業平の形見の装束を着て再び現れ、舞を舞い、井戸に自分の姿を映して夫の面影を偲ぶが、夜明けと共に消えて行くのであった。

 原典は『伊勢物語』の第23段。「井筒」というのは、筒状に囲んだ井戸のこと。その井筒の近くで、幼馴染の男女が一緒に遊んでいました。しかし、互いに成長すると、照れも恥ずかしさもあって一緒に遊ばなくなってしまう。けれど、女の方に縁談が持ち上がり、男は居ても立ってもいられず、女のもとへ和歌を送ります。

 筒井筒 井筒にかけしまろがたけ
  生いにけらしな 妹見ざるまに

 井筒で背比べした昔にかけて、会わない間に成長した自分のことを詠んだものでした。女もすぐに返歌をします。

 比べこし振りわけ髪も肩過ぎぬ
  君ならずして誰かあぐべき

 そして、「ついに本意のごとくなりにけり」最後には無事結婚することとなったのでした。

 私は『伊勢物語』の中でも23段は特に好きな話ですので、上に書いた二首の和歌だって諳んじているのですが、それでも地謡に謡われた「君ならずして」の一句が非常に印象に残りました。改めて、なんて熱烈な言葉なんだろうと感じたのです。どちらかというと、たおやかなイメージである『井筒』の女。しかし、内には強いものを持っているのではないでしょうか。業平の装束を着るということは、業平を自分の肌から離さないという執着にも思えてきますし…。

 ところで、前半の中心はシテが動かない「居グセ」でした。しかし、そのクセの間に、舞台の前に置かれた井筒の作り物がどんどん意味を持ってくるのが「感じられた」非常に素敵な舞台でした。そして後半。業平の装束を着た女が序之舞を舞うと、決まった舞の型にも関わらず、それが少しずつ少しずつ井筒へ近づこうとする動きに見えてくるのは不思議です。

 形見の装束を着て舞うことで、歌舞の菩薩ともいわれた在原業平と同化して行く女性。その頂点が「さながら見えし。昔男の。冠直衣は。女とも見えず」。そして井筒に付けられた薄をさっと除けて、井筒を覗き込む。その水鏡に見えたのは「男なりけり。業平の面影」

 しかし、そこで謡は今までのノリを崩します。シテ謡「見ればなつかしや」 今まで同化するまでに至っていた業平が、女から離れて水の底に移る(写る)のです。そして「夢は破れ明けにけり」と能は終わります。まさに一緒に夢を見ていたかのような感覚でした。能楽師の方々が『井筒』の曲を褒め、大切にしている意味が少し分かったような気がします。間狂言も普段は切戸から帰りますが、今回は幕に帰りましたしね。それだけ大切にされているんですね。


 ところで、『伊勢物語』の23段には上に書いた続きがあって、そこでは男は後に違う女のもとにも通うようになります。しかし、妻は嫌な顔一つもしない。逆に男は、自分の留守中に他の男と会っているのではないかと不審に思って(勝手な話です)、ある日、出かけたフリをして隠れていたところ、妻は夫の出掛けたであろう方向を打ち眺めて

 風吹けば沖つ白波 龍田山
  夜半には君が一人越ゆらむ

と夫の身を気遣う和歌を詠むのです。その余りのいじらしさに男は、決して他の女に通うこともなかったといいます。

 この後半は付け足しっぽいですし、わざとらしいですからあまり好きでないのですが、能『井筒』にも「その頃は紀の有常が娘と契り。妹背の心浅からざりしに。また河内の国高安の里に。知る人ありて二道に。忍びて通い給いしに…」としっかり取り込まれています。

 男が他の女のもとに通っていても、ひたすら待つ女。どんなことを思っていたのでしょう。…外面ほど穏やかではなくて、幼馴染としての思い出だとか、正妻としてのプライドだとか、そういったものにしがみ付いていたのではないでしょうか。ひたすら待つだなんて、普通の精神状態ではないと思うのです。「凄まじさ」といってしまうと何だか違う気がするのですけれど。

 業平が死に、有常の娘自身も死んだ後になって、夫の墓の前で、霊となって夫の装束を着て舞う女性。やっと完全に夫を独占できた、というかのような、不思議とエロチックな雰囲気を感じます…。

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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2件のフィードバック

  1. dream-man より:

    僕も何度か見なければ理解できません。
    2年前の七宝会普及公演で「井筒」を拝見したことがあります。
    「井筒」って、能の中でもっとも眠くなるランキングの上位だそうで、しかもその時は蝋燭能での上演。さすがに撃沈しました。

  2. 一度目で「これは良い!」と思った曲もあれば、
    一度目はそうでもなかったけれど、二度見ると深みが
    少し分かってくる曲というのもありますよね。
    能では今回挙げた『井筒』に『松風』『西行桜』などが
    二度目で好きになった曲です。狂言では『釣狐』ですかねぇ。
    「眠くなるランキング」ですか?(^^;) 一体誰が作ったものなんでしょう。
    私は『融』が苦手で何度見ても良く寝ます(笑)
    名曲だといいますけれど、私にはどうも合わないらしくて…。
    でも、曲云々よりも、前日によく眠れなくて、
    能楽堂で寝てしまうってことも多いです。