12日は1ヶ月10日ぶりに能を見に行ってきました。狂言に至っては50日ぐらいぶり。こんなに空いたのは久しぶりですね…。
研和会
◆7月12日(水)13時~ 於・大阪能楽会館(大阪市北区)
★観世流能『松風』
シテ(松風)=大西礼久
ツレ(村雨)=吉井基晴
ワキ(旅僧)=中村彌三郎
アイ(所の者)=中本義幸
笛=赤井啓三 小鼓=成田達志 大鼓=大村滋二
地頭=藤井徳三
★和泉流狂言『咲嘩』
シテ(太郎冠者)=小笠原匡
アド(主人)=中本義幸
アド(咲嘩)=山本豪一
★観世流能『鉄輪-早鼓之伝』
前シテ(女)/後シテ(女の生霊)=上田貴弘
ワキ(安倍晴明)=福王和幸
ワキツレ(夫)=山本順三
アイ(貴船神社の社人)=小笠原匡
笛=左鴻雅義 小鼓=清水晧祐 大鼓=山本哲也 太鼓=上田慎也
地頭=杉浦豊彦
最初の『松風』。能って見る側のコンディションも大切だった改めて感じました。最近寝不足でずっと眠いんです。でも、能を見るのだからと直前にカフェインを摂取して挑んだのですが…敢無く熟睡(笑)
きっちり見れたのは、在原行平ゆかりの装束を見に付けた松風が、「あら嬉しやあれに行平のお立ちあるが。松風と召され候ぞや。いで参らう」と松に駆け寄ろうとする場面から。でも、その時間だけでも良い能でした。
その松は、行平が形見の衣をかけていったという衣掛松。恋心がそのまま物狂として表現される凄みがありました。そこに「浅ましやその御心ゆえにこそ。執心の罪にも沈み給へ。娑婆にての妄執をなほ。忘れ給はぬぞや。あれは松にてこそ候へ。行平は御入りも候はぬものを」と止める妹の村雨。それでも松風は「うたての人の言ひ事や。あの松こそは行平よ」と聞きません。
「立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かばいま帰り来む」中納言行平
「まつ」は「待つ」。あなたが待っていると聞けば今にもまた帰ってこよう。そう恋人が言い残した言葉ゆえに松風は狂うのです。夢見がちな姉と冷静な妹の対比ですね。でも妹には、そうやって精神を開放してしまえる姉に対する嫉妬のようなものも見える気がします。
「まつ」には「松風」の意味も掛かってそうで。するとあなたの名前を聞けば今にもまた帰ってこよう、と読めますよね。歌に名前の入った松風と、入らなかった村雨。同じ男に愛された姉妹というのは、どんな気持ちなのか、分からない部分もありますが。
そんなことを考えながら見ていると、定型であるはずの中之舞の型がいろいろな意味を含んでいるように見えてきて…そこが良かったのです。時々思うのですが、直前の謡などによって盛り上げられた後の、言葉のない囃子事の部分。そこに、却っていろいろなイメージが浮かび上がってくる。能を見ていて良いなぁと思うポイントのひとつだと思います。
前半も寝ずに、もっと見たかったです…。
狂言『咲嘩』。大蔵流(『察化』と書く)も含めて初めて見る曲です。前半は『末広かり』に似ていて、都へ主人の叔父を迎えに行った太郎冠者が間違って咲嘩という詐欺師?を連れて帰ってくる。後半は『口真似』に似ていて、連れてきてしまった以上は、適当に相手をして穏当に都に帰そうとするものの太郎冠者が失言を繰り返すので、主人が自分の言い付け通り行動するように命じると、主人の物真似をして、最後には咲嘩を打ち叩いてしまう。
『口真似』や『以呂波(伊呂波)』もそうですが、こういう物真似ものって、単純に楽しめますよね。太郎冠者は愚かというよりは無邪気な印象。太郎冠者を演じられた小笠原匡師も、大蔵流と違って手を握る和泉流の構えなので、最初は力が入った印象だったのが、舞台が展開するにつれて、だんだん良い具合に抜けて行っていた感じだったのが良かったです。
最後の能『鉄輪-早鼓之伝』。『松風』でしっかり寝たので(笑)こちらは全部見れました。夫に離縁され、丑の刻参りをしていた女性が、本物の生霊となって恨みを晴らさんとする能で、私の大好きな怨念系の能です(笑) 後半は、男に依頼された安倍晴明の呪法との対決まであって、サービス万点。
前シテは衣を被いて登場。「早鼓之伝」の小書がではこうなるみたいです。常の場合の笠と比べて面を隠す度合いが大きいので、貴船明神のお告げを受けた後、早速生霊に変化を始めた「言ふより早く色変はり」の場面で、衣をさっと落とす効果は上がっていたように思います。
でも中入前最後の謡「恨みの鬼となって人に思ひ知らせん。憂き人に思ひ知らせん」の後、早鼓の囃子が入るよりは、常のように「思ひ知らせんっ!」と断ち切るように謡いきって、囃子もなしにシーンとした中をシテだけがスッスッスッと中入りするほうが私は好みです。より怖いですもの。
もっとも今日の客席は、どこかの大学からか大集団で来ていたらしく、2階桟敷で寝転がっているようなのもいましたから、その効果を期待できなかったかもしれない。生の舞台というのは、客も一緒に作り上げるものなんだな、と感じます。
シテが生霊に変化している間に、ワキ安倍晴明登場。青緑色の涼しげな狩衣に烏帽子姿が非常に似合ってました。正直、前は福王和幸師のワキって何をしても同じに見えて好きではなかったのですが、最近はノッているというか、舞台上でカッコ良く見えてきました。(その分?中村彌三郎師があまり調子良くない気がする…)
後シテ・生霊の面は珍しく「生成」。生成の面は能面にしては崩れた表情をしているものが多くて、某能楽堂で見たのも「こんなの、本当に能で使うんだろうか」と思ったようなものでしたが、今回のものは痩せこけて物悲しい表情のものでした。『鉄輪』では「橋姫」の面が使われることが多くて、「生成」で見たのは初めてかもしれません。
夏向けの素敵な能でした。
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→月扇堂手帖:松風/鉄輪
>直前の謡などによって盛り上げられた後の、言葉のない囃子事の部分。そこに、却っていろいろなイメージが浮かび上がってくる。
確かに、すべてを語り尽くされるより、こちらの想像が掻き立てられるように思います。
「生成」の面を実際に舞台上で観たことないのですが、角が少しばかり生えてて、橋姫より鬼に近い姿ですね。
泥眼のような女面に近い面と、般若のような鬼となった面、その中間的な位置にある生成は一歩間違うと品のない面になりがちな気がします。
私もあまりいいなと思う生成を見たことがありません。
ですが、今回の生成はもの悲しさのあるいい面だったのですね。
私も、ぜひ観てみたかったです。
★ももたろさん
>>確かに、すべてを語り尽くされるより、
>>こちらの想像が掻き立てられるように思います。
普通の発想なら「押し」ていくような部分で、却って「引く」。
能にはそんな部分があると思いません?
中之舞にこだわらず舞事は、どの曲でも、それぞれの流派の定型の型を
舞うだけで、ほとんど変化がないんですよね。
それでも、様々なイメージが豊富に浮かび上がる。
能って不思議さであり、魅力ですよね。
…だからこそとっつきにくいのかもしれませんが。
能面を打つ方ならではのコメントですね!(^^)
後シテが登場した時に「おおっ、角が生えてる!」と思ったのでした。
終了後に、能楽師の方に聞いてみましたが
「ちょっと変わってるけど、生成だ」と仰ってました。
生成というと、あまり良いな、と思う面を見たことがなかったので
新鮮でした。小書があったというのもあるのでしょうが、
いろいろ変わった感じの『鉄輪』でしたね~。
あ、あれは「生成」だったのですか!?
角があったのですね。気づきませんでした。ありがとうございます。
柏木さんも、「松風」は寝たのですね。
激しくシンパシーを感じます(^_^;)
貴弘先生の鉄輪 だったのですねぇ 時間あったのに見に行けばよかった。2日続けての イベントがあったので、ノーマークでした。
面打ちにとっては 「生成」打ってみたい面らしいですが、能楽師の方にとっては あまり 使わない面みたいで、金輪の専用面のようですが、金輪でも 使わないみたいで、そんならなんで 生成あるの という次元のようです。舞台にかけているところはみたいけど、自分の舞台はイヤという感じ 流派によっては 生成 どう読むのという方もいらした位 超マイナーな マニアックな面
見逃したのがすこぶる残念!
なるほど。
「生成」というのですか、あの面。
いつものと違うな、と気にはなってました。
またひとつ勉強になりました。
今回の松風は、どのお役も良かったのですが
地謡がこれまた最高に気持ち良く、感激でした。
★朝さん
角、確かにありましたね~。だから、あれ?と思ったものですが。
『松風』、別に寝たくて寝たわけでは…(^^;)
出勤日は一日中働いているので、疲れてしまっているようです。
開演前から眠かったのです。
カフェインを取っても、全然眠気が治まらないので、
井上裕久師の解説の時間は寝させてもらったんですけれど、
それでもダメでした。
★BACKYARDさん
研和会は舞台は結構良いと思うのです。
でも、見所はあまり感心しないことが多いですね…。
「生成」「橋姫」というと、ほとんど『鉄輪』ぐらいでしか
使わない面ですよね。しかも、あまり良い感じの「生成」って
見たことがないので…ですから、研和会の時が意外に感じました。
能面としての知名度は低いのですか?
そんなイメージはないのですけれど。
「橋姫」も、どうも『鉄輪』の原話らしい、
『平家物語』の宇治の橋姫の説話に関わる名前なんでしょうけれど、
『鉄輪』との関わりを説明をするのとややこしいので、
「生成」の方を使うことが多い気がします。
★kaki3さん
「生成」は、本成(般若)に対する言葉で、
人間と鬼との中間的な女性面です。
少し角が生えていたりして、怒りや悲しみによって
鬼に近づきつつも、人間としての苦悩も残している、
最も辛い状態だそうですよ。
鬼にも成り切れない。そんな面です。
中途半端なだけに打つ側にも難しいのか、
『鉄輪』では「橋姫」という別の面が使われることが多いです。