今日は湊川神社神能殿で催された「佐伯紀久子之会 別会能」を見に行って来ました。目的は関西初となる復曲能『箱崎』を見ることです。↑の写真に写ってますが、謡本も買ってしまいました(笑) 普段は買わないんですけれどね~。
佐伯紀久子之会 別会能
◆10月8日(土)13時~ 於・湊川神社神能殿
★観世流能『半蔀-立花供養』
前シテ(里女)/後シテ(夕顔の女)=佐伯紀久子
ワキ(雲林院の僧)=中村彌三郎
アイ(所の者)=善竹隆司
地頭=井上嘉介
笛=野口亮 小鼓=清水晧祐 大鼓=山本哲也
★大蔵流狂言『仏師』
シテ(すっぱ)=善竹隆平
アド(田舎の者)=善竹隆司
★観世流舞囃子『野守』
シテ(鬼神)=井上裕久
地頭=吉井順一
笛=野口亮 小鼓=清水晧祐 大鼓=山本哲也 太鼓=井上敬介
★復曲能『箱崎』
前シテ(里女)/後シテ(神功皇后)=観世清和
前ツレ(里女)=杉浦豊彦
ワキ(壬生忠岑)=福王茂十郎
ワキツレ(従者)=是川正彦・中村宜成
アイ(箱崎の者)=善竹忠一郎
地頭=藤井完治
笛=野口亮 小鼓=清水晧祐 大鼓=山本哲也 太鼓=井上敬介
それにしても囃子方はずっと同じ方々。お疲れ様です(^^;) プロですから当然なんでしょうけれど最後の『箱崎』まで力強さを持続されていて、ステキでした! 私は舞囃子一番打っただけでヘタレますから(笑)
今年は善竹家の『仏師』を見ることが割と多いのですが、善竹隆平師のカッコよさを改めて見直してしまうような舞台でした。隆司師や忠一郎師と比べても、声がしっかり出ていてステキだと思います、隆平師。それにしても「仏、仏、仏、仏!」「気に入らん、気に入らん!」「仏師!仏師!仏師!仏師!」と、最後はかなり慌しくなる演目ですが、それでもドタバタとやかましくないのが善竹家って良いですね。
『野守』は私も舞囃子を舞った思い出の曲、やはり好きです。後シテの鬼神は大きな野が持つパワーの化身なのではないでしょうか。足拍子の多い舞ですが、大地の振動なのかな、なんて思いながら拝見していました。
★復曲能『箱崎』
延喜の帝(醍醐天皇)に仕える歌人・壬生忠岑が九州筥崎宮に詣でたところ、月の夜、松の下を掃き清める里の女たちに出会う。里の女は、戒・定・恵の三学の妙文(仏道修行の真髄が書かれた経文)が入った金の箱を神功皇后が埋めたことから「箱崎」の名がついたと語り、忠岑にその箱を見せると約束して姿を消す。(中入)
神功皇后が現れて、箱から経文を取り出して忠岑に見せながら、天女の舞を舞い、箱は再び松の下に納まるのでした。
作者は世阿弥。この曲が作られた当時、世阿弥の先輩にあたる能役者・犬王がいて、仏法賛美の舞である天女の舞を舞って人気を博していたそうです。その天女の舞を世阿弥が自分の作品に取り入れたのが、この『箱崎』です。
去年、福岡に行ったときに筥崎宮も観光したので、その情景を思い出しながら見ていましたが、とにかく後シテの装束が綺麗で、その姿で舞われる観世清和師の姿にうっとりしてしまいました。
首に勾玉をかけて、鬘も良く見ると、鬟(みづら)になっていて史書に描かれた神功皇后の姿を髣髴させるのも古代史好きな私にはたまりません。「みづら」というのは、頭頂で左右に分け、それぞれ耳のわきで輪をつくって束ねた古代の男性の髪型なんですが、頓死した夫の天皇に代わって軍を率いる時に、髪を結い直して男装したわけです。手に剣を持って登場するのも武装だからですね。面も「神功皇后」という凛々しい女性面でした。
「皇后、便ち髪を結分げたまひて、みづらにしたまふ」
(『日本書紀』神功皇后摂政即位前紀、仲哀天皇9年4月3日条)
「みづら」と女性・武装といえば、アマテラスも、弟のスサノヲが高天原に攻めてくると聞いた時に武装して髪型をみづらにした、と『古事記』にあります。今日の後シテは、頭の半天冠の上に日の立物を載せていることもあり、アマテラスとも重なっているのかな、と思ったり。(アマテラスは日の神ですから)
舞の途中で橋掛りの真ん中辺りに立ち止まって腕を体の前で組み、少し面を横にずらした時の姿が神々しく、もっとも印象に残っています。
面白い能を見ました。また関西でも再演があると良いですね。
柏木さん、皆さん、お久しぶりです。
柏木さん、ついに『箱崎』ご覧になられたんですね!拝読する限り、楽しまれたようで何よりでした(^^)。
後シテ装束の白い方、雅楽関係の模様なのはご覧になれましたでしょうか?上からかぶっているポンチョ型装束は舞楽の『りょうとう』とイメージがダブりますし…。
ともあれ、「箱崎」は私ももう一度見たいな、と思っている演目です。
りんどうさん、こんにちは。お久しぶりです。
『箱崎』見ました。面白かったです。
特に天女之舞がステキでしたね~。
後シテの白い装束は雅楽関係の模様なんですか~!?
鬟の発見ばかりに心奪われて、細かい模様にまで意識が
行ってませんでしたが(汗) 上からかぶっている装束は
雅楽の舞とも繋がるのがまた、古代めいていてステキですよね。