「処女塚」と書いて「おとめづか」と読みます。神戸市東灘区に存在する、4世紀ごろに造営されたと考えられている前方後方墳です。昭和54年(1979)から昭和60年(1985)にかけて復元され、史跡公園として整備されています。
ここは西求女塚古墳、東求女塚古墳とともに『万葉集』『大和物語』そして能『求塚』に繋がる悲恋物語の舞台となっています。3つの古墳は約2km離れて向かい合うようにあるのですが、その中央がこの処女塚古墳。菟名日処女(うないおとめ)の墓とされているんですね。
あまり写真では見えないかもしれないですけれど、この処女塚古墳の上にも桜の花が咲いていて、能『求塚』の前半、うららかな春の景色を描く場面を思い浮かべました。もっとも菜摘みって、残雪をかき分けながらするもので、春といっても「新春」などの春なんでしょうけれどね(笑)
古墳の脇には万葉歌人・田辺福麻呂の歌碑が置いてありました。
「いにしえの小竹田壮士(しのだおとこ)の妻問ひし
菟原処女(うなひおとめ)の奥つ城ぞこれ」
『万葉集』の時代からいわれていた伝説なのですね。『太平記』に記された、湊川の戦いで敗れた新田義貞の危機を救って、この塚の上で戦死した小山田高家の碑も並んでおいてあります。
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