京都国立博物館から更に北へ進んで六道珍皇寺へ。本当は六波羅密寺にも行くつもりだったのが、京都国立博物館で時間を使い過ぎ、閉門時間(17時)を過ぎてしまいました(苦笑) それだけ130円で堪能したわけですが。
しかし、六波羅密寺の周辺が平家一門の屋敷があった六波羅で、新熊野神社や三十三間堂の一帯が後白河上皇の御所・法住寺殿だったんですよね。お互いに平安最末期の大勢力ですから敷地も広かったでしょうし、完全にお隣なんですね。歩いて実感できました。
さて六道珍皇寺。この寺に興味を持ったのは一昨年の善竹狂言会で狂言『八尾』を見たことがきっかけです。『八尾』は閻魔大王と地獄に落ちる罪人が登場する話ですが、もうひとりのキーパーソン(?)である常光寺の地蔵菩薩像は、平安初期の貴族・小野篁(802-852)が作ったものだとされています。
小野篁は『百人一首』に「わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ天のつり舟」の和歌が採られている歌人で、同時に漢詩人・学者でした。史実かどうかは知りませんが、あまりの秀才っぷりに当時の嵯峨天皇が困らせてやろうと難問で試した話などもあります。(「猫の子の仔猫」参照)
各種の伝説の多い人ですが、中でも有名なのが、昼は現世の官僚として働き、夜になると閻魔庁で地獄の冥官として働いていたという伝説。彼が閻魔庁への出仕に使っていたとされるのが、この寺の奥にある井戸です。近づけないようになっているので、本堂横の木戸から写真を撮りました。私のデジカメは光学ズーム機能が弱いので、これが限界。赤いお堂の右手にある井戸です。
地蔵菩薩は地獄の亡者にも慈悲を垂れる仏といい、閻魔大王と同体ともいいます。地蔵菩薩の中でも西の横綱とされる像を、閻魔庁に仕えた伝説を持つ小野篁が作った…。面白いつながりですよね。
この六道珍皇寺の東、清水寺の南あたりは鳥辺野といい、都人の葬送の地でした。門前を通る松原通りは昔は五条通りだったのですが、鳥辺野へ亡骸を運ぶための通路であり、この寺で最後の法要を行って別れ、後は「隠坊」と呼ばれる世話役が運んだそうです。
そんな風習のためか、いつの頃からか六道珍皇寺のあたりを「六道の辻」と呼ぶようになり、地獄や他界への入り口とされていったそうです。小野篁の井戸の話も、そのひとつなんでしょうか。ちなみに狂言『八尾』で、閻魔王と罪人が出会うのも「六道の辻」です。
この前「熊野」を観てきたんですが「六道が辻」が謡に出てきました。花見車で移動する途中「鳥辺野へ行く道か」と熊野が母のことを思って泣くあたりだったと思います。なので、「お、タイムリー!」と思って拝見・拝読させていただきました。
地蔵菩薩と閻魔大王が同体だというのは初めて知りました。興味はあっても知識が浅薄なもので、勉強になります。
こんにちは★
勉強になりました!お寺巡りとか好きなのですがあまりよく知らなくて…(笑)
知ってるともっと京都散策も楽しくなるんだろうなぁと思いました
今度この辺りを歩く時はまた違って見えそうです
★peacemamさん
『熊野』に「六道の辻」が登場するのですか!
私、『熊野』は見たことも、謡ったこともないのです。
急いで確認。見つけました。
「愛宕(おたぎ)の寺もうち過ぎぬ。六道の辻とかや
「げに恐ろしやこの道は。冥土に通ふなるものを。心ぼそ鳥部山
「煙の末も薄霞む。声も旅雁の横たはる
この「愛宕の寺」が現在の珍皇寺のことだそうです。
peacemamさんが教えてくださったおかげで、このワンフレーズの
聞きたさに『熊野』を見たくなって来ました(笑)
私、あんまし仏教のことは知りませんけれど、
地蔵菩薩と閻魔大王、同体という話もあるそうです。
どちらも阿弥陀仏の分身だとかで…。
こういう化身・同体・分身といったのはややこしいですねぇ。
★chat1996さん
こんばんは。コメントありがとうございます!
そうですねぇ~お寺のことをより知っていると、
同じ見るにしても、見方が変わってくるというのは
ありそうです。…私は行った所を、
後になって調べたりしているだけなんですが(苦笑)
私が行ったのは本堂の公開時間の終わった後でしたから
(境内は自由に歩けましたが)本堂や閻魔堂が見れなかったのが
残念です。次に行く時にはもっと早い時間に行きたいものです。
そうでした。「鳥辺野へ行く道」ではなくて「冥土へ」でしたね。この辺りの謡は関東者の私でさえ「ああ、あの辺か」と思い浮かぶのですから、地元の方が聴かれたら熊野と一緒に車に乗って動いているような気持ちになるのではないでしょうか。手元に本がないのでうろ覚えですが「白い雲かと思ったら山の桜だった」というような部分もあって、情景が思い浮かびやすい詞章になっていると思いました。
>>白い雲かと思ったら山の桜だった
「雲かと見えて八重一重。咲く九重の花盛り名に負ふ春の。景色かな」
でしょうか。確かにその辺りの謡は読むだけでも、情景を思い浮かべる
ことができそうです。
熊野が通った道筋は、今でも観光コースとして通用するかも、
と思いました。