ところで、斎宮周辺を歩いていた時に気付いたのが、多くの民家で玄関に飾られている「注連縄(しめなわ)」。正月飾りのひとつだと思っていたのですが(私の家はつけませんけれど)、この8月にも付いています。
見ると「蘇民将来子孫家」だとか「笑門」と書いてあるので、福を招く意味合いで付けられているのだろうとは想像が付くのですが、これは伊勢地方の風習なのでしょうか。斎宮周辺(三重県多気郡明和町)だけでなく、松阪でも飾られていました。
★しめなわ(注連縄/標縄/七五三縄)
境界を示し出入りを禁止することを示すために張りまわす縄。特に、神事において神聖な場所を画するために用いたり、また新年に門口に魔除けのために張ったりする。わら縄を左縒りにない、わらの尻を三・五・七筋と順にはみ出させて垂らし、間に紙の四手を下げる。しめ。
★そみんしょうらい(蘇民将来)
(1)疫病よけの神の名。貧者だったが、神に宿を貸したお礼に茅の輪を作って疫病から免れる方法を教えられたという(備後風土記)。
(2)災厄を除いて福徳を祈る護符の一。六角または八角の棒や木札・紙札などの形状がある。「大福長者蘇民将来子孫人也」などの語を記す。毎年正月、寺社で発行する。
一応、参考までにgoo辞書より「しめ縄」と「蘇民将来」について引用してみました。あと、「笑門」は「笑う門には福来たる」という願いが込められていることだと思います。
それにしても、全くの偶然ながら、狂言方大蔵流の人間国宝・茂山千作師の本名「七五三」を「しめ」と読む理由が分かったことは嬉しいです。しめ縄の「わらの尻を三・五・七筋と順にはみ出させて垂ら」すからなんですね。気持ちがすっきり(^^)
はい、コレもこの地方独特の風習です。「蘇民」の方は猿田彦を助けたのが蘇民だったのでその子孫と掲げておけば厄を及ぼさないと約束したので そう書くようになったと言われております。年末の30日に新しいのと取り替えます。(一夜飾りは悪いとされています)その後はどうするのか・・・あまり記憶にないのですが 節分に氏神様に持っていったような。一年中飾るので一般的などんど焼きないんですよ(私の記憶では)伊勢で「どんど焼き」とは31日の両神宮の一晩中の特大薪(笑)を指します。
一年中飾っておくものだと思い込んでいたので、それがローカルルール(爆)と知った時はびっくり!!でした。
「伊勢うどん」が松阪にいくともうないというのも同様のショックを受けました。
下までよく読まないうちにカキコしたので 釈迦に説法になってごめんなさいね。
★あいらぶけろちゃんさん
コメントありがとうございます。
蘇民将来は猿田彦を助けた話なんですか。
京都の八坂神社では、スサノヲの話だった気がします。
伊勢では大晦日以外はずっと注連縄が飾られているのですね~。
今回の伊勢行きでは「伊勢うどん」が食べられず、残念でした。