住所:兵庫県芦屋市浜芦屋町5
早速ですが、芦屋市教育委員会による案内板の文章を挙げます。
およそ800年ものむかし、源頼政が二条院にまねかれ、深夜に宮殿をさわがしていた怪鳥をみごとに射落とした。それはぬえ(鵺)といって、頭はサル、体はタヌキ、手足はトラ、尾はヘビという奇妙な化鳥であった。その死がいをウツボ舟(丸木舟)にのせて、桂川に流したところ、遠く大阪湾へ流され芦屋の浜辺に漂着した。浦人たちは、恐れおののき芦屋川のほとりに葬り、りっぱな墓をつくったという。
ぬえ塚伝説は、『摂陽群談』『摂津名所図会』などに記されているが、古墓にまつわる伝説の一つと思われる。現在の碑は、構成につくられたものである。
というわけで、能『鵺』ゆかりの土地といえると思い、アップ。
鵺塚に関しては大阪市都島区にも存在し、そちらについてはすでに「能楽の淵」で書いています。今回、機会があったので芦屋の方にも行ってみましたけれど、桂川から淀川に入って途中の都島に漂着したというのと、一度大阪湾に出てから芦屋浜に漂着したというのでは、私はどうしても都島の方がありそうに思うのですけど(笑)
もっとも『平家物語』を読んでいると、源頼政は2度、鵺を退治しているんですよね。最初は仁平年間(1151-1154)で近衛天皇の時代、2度目は応保年間(1161-1162)で二条天皇の時代です。だから鵺塚が2つあっても、一応の理屈はつくのですけれど(^^;) まあ、案内板にあるように元々「たたる塚」に関する伝説がこの土地にあって、それが鵺の伝説と組み合わさったものでしょうけれど…。
「鵺」はトラツグミという鳥の別名だそうで、悲しげな声で鳴くとされています。『万葉集』にある山上憶良作「貧窮問答歌」にも細々と力のない声で呻吟している様子を「ぬえ鳥の のどよい居るに」と詠んでいます。また、政治用語で正体のはっきりしない人物のことを「鵺」と言うこともあるそうですね。
何よりも「鵺」という漢字があってPCでも表示できることが、日本文化における「鵺」の存在感を示しているのではないでしょうか。
ところで、鵺塚のある周辺は芦屋公園という公園になっており、約500本もの松林があって気持ち良い場所です。ベンチでカップルがお互いの体に寄りかかって寝てたりして…ちくしょう!(笑)
■関連記事
→鵺塚[大阪市都島区](能楽の淵)
→鵺塚(ドクロブクロblog)
>カップル
春なので(?)鴨川にもようけ等間隔で並んでいます。彼女がいようが居まいが、なんとなく心乱されるのは不遇の高校時代のせいですかねぇ。鵺よろしく心の中からよくわからない叫びが聞こえます。笑。あれをほほえましく見ることができるようになるのは、もう少し年を食ってからかな。
鴨川のカップルはすごいよね~。
京都に行くたびに嫌でも目に入るけど、寒い時期でも
平気で川原にいるよね。二人でアツアツだから…?
自分で書いてて悔しいな(苦笑)
もっと大きく構えられるようにはなりたい。
不遇の高校時代か…。いや~あれはあれで楽しかったやん。
戻ろうとは思わないけどさ。
『鵺』って能にさ
「我は。名を流すうつほ船に。押し入れられて淀川の。
淀みつ流れつ行く末の。鵜殿も同じ芦の屋の。
浦曲の浮巣に流れ留まって。朽ちながらうつほ船の。
月日を見えず。冥きより冥き道にぞ入りにける…」
とひたすらクラい文句があって、今とても好きです(笑)