6月にこのブログに、peacemamさんから下のようなコメントをいただいたことがありました。
「トルコで私も考えた」という高橋由佳利さんのマンガがあって…(中略)…高橋さんが「そう言えば小学校の卒業旅行で伊勢神宮に行った時もそうだったなー」と回想します。私は初めて聞いたので「お伊勢さんって生理中は入れないの?」とびっくりしました。
(元記事「ちょっとなぁ…。」)
まあ私はこんなことは全く知らなかったのですが、これに関して、今読んでいる歴史小説家の永井路子さんと杉本苑子さんによる対談集『「時代」を旅する』に、関係する話がありました。引用すると
杉本 天皇家は大昔から仏徒だったのに、明治の廃仏毀釈で仏教を切り離し、今度は神道と結びつけた。するとどういうわけか、神社を女の穢れから切り離すべきだというようなおかしな考えが出てきて、女はメンスのときには鳥居をくぐっちゃいけないなどと言い出した。だけど伊勢神宮の斎王(いつきのみこ)は昔も今も皇室の女性が任ぜられています。
(『「時代」を旅する』文庫版p211-212)
明治以後の話なんですね~。世の中で日本の伝統だと思われていることでも、実は明治以後に作られたものって多いということは知っていたのですが、これもだったのですね。
ほかにも「紫式部は何を食べていたのか」という章がありますが、これは食文化研究家の永山久夫さんが再現されたいろいろな時代の食べ物を食べていくという美味しい企画(笑) 題名には「紫式部」とありますが、卑弥呼の時代から始まり、江戸中期の弥次さん喜多さんの食事まで計1700年分です。
単に話だけではなくて、それぞれのメニューの挿絵もあって分かり易いのですが、奈良時代の「蘇」を食べたころに
杉本 蘇とか酪(ヨーグルト?)のような乳製品がいつのまに日本の食物史上から消えましたね。同時に服飾史上でも、イヤリングやネックレス、腕輪など身を飾る品がなくなる。ほんとうに突然。…(中略)…
永井 奈良時代にはあった宝石趣味が突然なくなりましたね。十六世紀の少年遣欧使節がヨーロッパの宝石に全然興味を示さなかったといって向こうの人は不思議がったとか。
(『「時代」を旅する』文庫版p166-167)
これを読んでいて、能で勾玉を首に掛けているのを見た時(復曲能『檀風』や『箱崎』の後シテなど)に「古代めいているな」と感じた理由が少し分かった気がしました。能装束を含めた、平安時代以降の服飾文化にアクセサリーがないからこそ、勾玉という異質なものが古代めいて見えるわけなんですね。
しかし、仏像に宝石を使っているのに、アクセサリーとして使わなくなるのは不思議ですね。なんでかな、日本文化。
「時代」を旅する 杉本苑子 永井路子 文芸春秋 2000-01 by G-Tools |
うわ~、回答をいただけて嬉しいです。そうですか、そんな新しい慣習なんですね。
時代時代で露骨に変わってるというの、日本人らしい気もしますね。熱しやすく冷めやすく、しかも大勢につきやすく周りに倣いやすい、という(汗)。
>永井路子さんと杉本苑子さんによる対談集
これだけで「濃そうだ~」と思ってしまいます(笑)。高校~大学にかけて読みまくりましたね、どちらも。今はすっかりすっきり忘れてしまってますけど。
喜んでいただけて嬉しいです。
国家神道の流れの中で、言い出された話なんですね。
>>時代時代で露骨に変わってるというの、日本人らしい気もしますね。
歴史を勉強していると、それは近代の日本人の傾向であって、
古代から中世までの日本人はもう少し違ったような気がして
なりません…。もちろん、感覚に過ぎないものなんですけれど。
まあ、いかにも「日本人らしい」性格の私がいうのもなんですが(笑)
>>これだけで「濃そうだ~」と思ってしまいます(笑)
実際濃いですよ~(笑)
私が史学科、しかも古代史専攻を決めた直接のきっかけは、
高校の時に出会った永井路子さんの『王朝序曲』ですね。
もちろん、他にも原因はあるんですけれど…。
しばらく離れていましたが、また読み始めてます(^^)
『山霧 毛利元就の妻』が良かったです。