ここ最近少し仔細があって、狂言の様々な曲の演出について調べまくってます。そんな中目についたのが、とある山伏狂言の台本。山伏を主人公とする狂言には多くの場合「祈り」と呼ばれる祈祷の場面がありますが、そのパターンのひとつに
いかに悪心深き○○なりとも。いろはの文にて一祈り祈るならば。などか奇特のなかるべき。ボオロン、ボロ。いろはにほへと。ボオロン、ボロ。ちりぬるをわか。ボオロン、ボロ。ゑひもせすきょう。ボオロン、ボロ…
というものがあります。狂言らしくて好きな文句です。この呪文にいろは歌が登場するのは「ちりぬるをわか」の語尾「をわか」が真言(マントラ。仏教の呪文)の語尾「…ソワカ」に似ているから、ということですが…。
いろは歌
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす
それより私が気になるのが「ゑひもせすきょう」。「ゑひもせす」までは、いろは歌の最後だとして、最後の「きょう」ってなんだろう? ちょっと不思議に思ってました。そうしたら、ちょっとヒントになるような話が、桂米朝さんの落語『京の茶漬』のマクラにありました。
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特選!! 米朝 落語全集 第七集 (三代目)桂米朝 東芝EMI 1990-06-27 by G-Tools |
京都の人が帰りかけている客に、一言「まぁ、お茶づけ(ぶぶづけ)でもいっぱいどうどす」と勧めるけれど、実際には「早う帰ってや」という意味が含まれていることが多いというのは有名な話。それを実際に食うてやろう、という男が登場する噺なんですが。そのマクラにて。
こらまぁ、京都ちゅう土地はまぁ昔から観光都市なんですなぁ、江戸時代から。いまはもう派手な贅沢な土地になってしもたけど、かつては土地柄は始末やったんですな。ものをドンドン生産するところやないさかいに、始末なところがある。
大阪なんかねぇ、やっぱりケチや渋ちんや言うたって商いの都やさかい派手なところはウンと派手です。火鉢の火を人にすすめるのでも大阪と京都はすすめ方が違うたという。大阪はとにかく「寒いこったんなぁ、さ、当んなはれ当たんなはれ」埋めてある火でもパッパッと広げて「さぁ」
京はそうやらんちゅうんですなぁ「さぶおすえなぁ、さ、どうぞお当たりやす、どうぞお当たりやす」言うて、みな灰かぶせてしまいますねん。気兼ねで手が出されへん。京の人間は人にえぇ火ぃひとつよお勧めん、ということは既に弘法大師がいろは歌に言うておかれた…「いろはにほへと」の中にそんな文句あったかいな?と考えてみたら一番しまいのところに「えぇひぃもせず、きょう」ちゅうのはこれや。と、こない言うんですがな。…こらまぁ、あてにはなりませんが。
狂言『以呂波』(和泉流『伊呂波』)で「高野の弘法大師が作られたいろは歌というものがある」というセリフがありますが、院政期以来、いろは歌といえば弘法大師作とされているようです。あくまで伝説に過ぎないものだそうですが。
米朝さんの解説を読んでみると、「今はあまり言わなくなってしまったので分かり難いが、昔はいろは歌の最後に京とつけるのが普通だった」と言ったことを書いてらっしゃいました。
江戸時代にはことわざを使った「いろはかるた」があったそうですが、最後に「京に田舎あり」(上方)、「京の夢大坂の夢」(江戸)といったように京関連のことわざが載っていたそうですから、伝統的に「京」が付いていたそうです。その最古の例は1287年成立の『悉曇輪略図抄』という本だそうで…鎌倉時代!? 古いんですねぇ。
逆に、今いう「いろは歌」にはなんで最後の「京」がなくなってしまったのでしょうね。仮名じゃないので理屈に合わないから、明治時代以降に取られてしまったのかな?
へええ、へええ、へええ~っ!
いろはで作った色々な歌があって「鳥啼き歌」が一番有名、っていうのまでは学校で習ったけど最後に「京」っていうのは知りませんでした。ゆげひさんとこに来ると賢くなれる気がします。
やっぱり、落語まで手を出さないとダメですかねえ。。。
おお。狂言と落語のつながり、こんなところにもあるんですね。
いろは歌に京をつけるとは、初めて知りました。
米朝さんは「今では使われなくなった言葉が多くなって古典的な笑いの意味が通じにくくなっている」と言うようなことをよく仰っていますが、これもその一つと言えますね。
なぜ最後に京をつけていたのか、そしてなぜ京がなくなったのか…とっても気になります。
★peccemamさん
「鳥啼き歌」というのは初めて聞きました。
調べてみると、明治時代に「ん」も含めた新しいいろは歌を
万朝報(当時の新聞社)が募集して、その一等になった歌だそうですね。
昔からいろは歌に「ん」がなかったのは不自然に感じられていたのか、
最後に「京」ではなくて、「ん」が入ったバージョンもあったようですよ。
>>やっぱり、落語まで手を出さないとダメですかねえ。。。
いえ、別に、私はもともと落語に興味があったので、聞くようになっただけです。
前、能楽堂で何回かお会いした方に
「毎回勉強熱心ですね」と言われましたが…
別に勉強だと思って能や狂言を見てるわけじゃ、、、、。
勉強だったら、こんなに熱心なわけがないです(笑)
★ももたろさん
狂言と落語のつながり、なんでしょうか?
落語でも本題ではなくて、マクラの部分ですしね。
ちなみに今日になって、先代(三代目)桂文我さんの『京の茶漬』の
CDを聞きましたが、マクラで米朝さんとほとんど同じことを仰ってました。
マクラですが、落語家の間で代々継がれてきた話なのかもしれませんね。
米朝さんは実演家ですが、同時に研究家の面もあって
(もともと寄席研究家志望だったわけですしねぇ)
そのあたりが大好きです(笑)
いろは歌って、なぜか
「いろはにほへと」「ちりぬるをわか」「よたれそつねな」……
って、七文字ずつに区切って書くんですよね。
これを暗号に見立てたのが、
井沢元彦氏の『猿丸幻視行』。笑
習字だったか、カルタだったか
そのへんは自分でもわかんなくなってますが、
自分たちの世代(40代半ば)ぐらいまでは、
いろは歌が「京」で終わるってのは、
当たり前に習いました。
なんとなく、すごろくの「上がり」みたいな感じで、
最後は「京」なんだろうと思ってましたが、
改めて何故かしらと気になりますね。
そうですね、「京」は「ん」と同じ位置になりますね。
うちの両親も夫の両親も落語が大好きなんですけど、どうも私は「耳で聴く」のはダメみたいで、実際に観に行ったら全然違うんだろうな~と思ってはいます。
>忠さん
私も「すごろくの上がり」みたいだなあ、って思いました(笑)。やはり最後は京で終わるがめでたい、ということなんでしょうか?
★忠さん
お久しぶりです。
確かに、中学校で習うまでワケも分からず、
「いろはにほへと」「ちりぬるをわか」…と
七文字ずつ区切ってましたね。
「警泥」(地域によって呼び名は違うでしょうが、鬼ごっこの一種)の
探偵と盗人を決めるのに使っていたので覚えたのですが。
いろは歌で、参加者を数えながら
「いろはにほへと。ちり…ぬすっと!」「るをわかよ…たんてい!」と。
今思うと「警泥」だから警察と泥棒だろうに、
なぜか探偵と盗人なんですよね(笑)
ただ、この遊びでは「た」までしか使わないので、
その先は知りませんでした(笑)
★peacemamさん
私も母が落語好きで、前々から母がCDを聞いていましたが、
そのころはあまり興味が持てませんでしたね。
大学で受けた「日本伝統芸能史」という講義の講師が
落語家の方で、その時、授業のたびに実演を見たのが
今に繋がっているのだと思います。
最初に自分でお金を払って聞き行った落語も、その方のでしたし。
それが今のCDで聞く落語に繋がっているのだと思います。
数日前に、実際の寄席にも行きましたが、
やはり耳だけで聞く以上のものも確実にありましたね。