明石市魚住町住吉神社 卯の花まつり

魚住住吉神社能舞台

神社創建を祝う行事

本日は明石市魚住町の住吉神社へ「卯の花まつり」に参りました。神社創建に由来する祭礼とのこと。

朝から夕方まで雅楽を中心に、いろいろな芸能が奉納されています。その中に観世流シテ方能楽師の伊原昇さんが指導されている子ども仕舞もありました。子どもさんたちが懸命に舞う姿は素敵です。世阿弥が『風姿花伝』年来稽古条々に書いている先、童形なれば、なにとしたるも幽玄なりという言葉は、まさにこのこと…!

鏡板の取り外しが可能

5月1日の奉納能楽会の時には鏡板が入れられるそうですが、普段は外しているようで、今日も鏡板なしでした。ですから、今度は5月1日の能楽会の時に参って、鏡板が入れられている姿を見たいな、という思いを強く抱きました。最後の番外仕舞は伊原昇さんの《猩々》と、上野朝彦さん・雄介さんの《小袖曽我》。

この住吉神社の能舞台は、初代明石藩主・小笠原忠政により寛永4年(1627)に建立されたといいます。以前の修理の時に棟札が出てきたのだそうです。他の神社能舞台には地謡座がない例が多いのですが、ここはあります。もっとも地謡座だけ木が新しく礎石も小さいので後で修理の時にでも追加されたのかも。

なお最初は「卯の花神事」ということで、拝殿で神主さんが祝詞をとなえたりされていましたのですが、その様子を覗いていると、拝殿の端に能面・狂言面がかけてあるのを発見。面打ち愛好者さんによる奉納のようです。

子ども仕舞の前半と後半の間には雅楽の奉納が。平調《五常楽 急》を演奏しながら入場→平調の音取と《越天楽》演奏の後、黄鐘調で同じ曲を演奏。なんか能楽関係で聞いた言葉が多いです…。

雅楽奉納の最後は神楽《浦安の舞》。以前、別の神社の能舞台で舞われた《浦安の舞》を見ていますが、その時は二人舞。今日は四人舞でした。地域の小学生の御名の子たちらしい舞姫が可愛らしかったです。

奉納能楽会の歴史

なお能舞台の屋根に昭和49年5月1日の奉納能楽会番組が額になって掲げられていました。神社の公式サイトによると「昭和13年(1938年)に途切れて…昭和49年(1974年)より氏子や愛好家によって復活」とありますので、復活の際の記念の番組なんですね。

最初の素謡《神歌》で翁のお役の方の姓が、今の宮司さんと同じ…当時の宮司さんでしょうか…ちょっと気になります。神社の宮司さんが、神社能舞台で《神歌》を謡われるなんて、かなりステキです!(確認せずに勝手なことを言っております)

また別の建物に掲げてあった平成12年5月1日の第25回能楽会の狂言組だけの番組。こちらも何かの記念の番組なのでしょうか。少し気になります。

なお本殿の後ろには藤棚があって、ちょうど能楽会から卯の花まつりまでの頃は見頃なんだとか。こちらも堪能させていただきました。

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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