今日の新聞の一面に、こんな記事がありました。新聞社のサイトに掲載されていないので引用。
花舞台に幕 大阪、元料亭「南地大和屋」
浪花の粋な文化がまたひとつ消える──。大阪を代表した料亭「南地大和屋」(大阪市中央区)の能舞台を解体して東京に移築することになり、最後のお披露目となる落語と浄瑠璃の会が19日あった。桂米朝さん・小米朝さん、竹本綱大夫さん・鶴沢清次郎さんの親子が上がった後、大和屋女将の阪口純久さんを交え、ミナミの花街の全盛期を語りあった。(中略)
能舞台は大和屋ビルができた1965年、2階に設けた。総ヒノキ造りで、舞台の総工費は5憶円。披露目では先代梅若六郎、先代市川団十郎が舞った。財界人では松下幸之助さん、佐治敬三さん、文化人では司馬遼太郎さんらが訪れた大阪の代表的な接遇場だった。
ビルのある宗右衛門町周辺で風俗店などが乱立したため、料亭は03年秋に閉めた。舞台の引き取り手は大阪で見つからず、東京・中野の梅若能楽学院会館に移すことになった。(朝日新聞 2005.04.20)
私はこんな能舞台の存在すら知りませんでしたけど、なんだか寂しいですね。
東京に対して「関西(上方)文化」という対抗心はあっても、東京への文化集中の波で、大阪文化が少しずつ失われていくのは仕方のない時代の流れなのでしょうか…。
ついでにいえば能舞台の最後の公演なのに落語と浄瑠璃…。本式の能や狂言でなくても、せめて仕舞や小舞ぐらいあってもいいのに。
追記
石淵文榮さんのblogに能舞台のあった大和屋の話が少し書かれてます。
■関連記事
→料亭の能舞台で最終公演(河北新報 2005.04.19)
大きな料亭などには舞台があるところも多いみたいですね。本式のものかどうかはわかりませんが。母体がなくなってしまっては上演どころか維持も難しいということなのではないでしょうか。寂しいことですが、移築されるのならまだいい方なのだろうと思います。
横浜能楽堂の本舞台も移築されたものです。歴史ある染井能舞台は解体された後に横浜市に寄贈されたものの、能楽堂が出来るまでは何年か眠っていたのです。いつかきっとこの舞台も多くの能楽師さんたちに踏まれると信じましょう。
もう10年ぐらい前に一度だけ行ったことがあります。
梅若六郎のお弟子さんたちの会でした。橋掛かりは無くて、見所はすべて畳敷き。しかも舞台へむかって緩やかに傾斜がつけてあり落ち着いた、いかにも料亭の舞台という雰囲気でした。確か、武原はんはこの大和屋で芸妓として舞を修行した後東京へ出たのだったと思います。
とても残念ですね。
阪神間のどこかへ移築できなかったのでしょうか。
念のため引用された新聞記事の写真を見てみましたら
これは本格的な能舞台ですね。私の見た舞台は確かに大和屋ではあったのですが別の物のようです。失礼しました。
★peacemanさん
コメントありがとうございます~。
新聞で見る限り、立派な本式の能舞台のようです。
「関連記事」としてリンクを貼ったところにも、違う角度から
撮影された写真が載ってますので(^^)
南地大和屋の住所を調べて、地図で見てみましたが、夜になると
キャッチのお兄さんたちが多数うろついていて、あまり歩きたくない
場所です。料亭が経営を続けるには、向かない場所だったのですねぇ~。
大阪で引き取られなかったことは残念ですけど、引き取り先が
梅若家ですから、いつか能楽に活用されることを期待したいですね。
★ぼんぼりさん
コメントありがとうございます。
橋掛りの先には揚幕もきっちりある本式の舞台ですよね(^^)
「武原はん」という方の名前は、初めて知りました。
芸術院会員・文化功労者…そういう方もいらっしゃるんですね。