すでに先週の話なんですが、奈良国立博物館で催されていた「遣唐使と唐の美術」展に行ってきました。去年、中国・西安で発見された日本の遣唐使の墓誌の里帰り展です。
8世紀前半に中国へ渡り、都・長安で唐王朝に仕え、将来を嘱望されながらも現地で亡くなった墓誌の主の名は「井真成」。しかし、この「井真成」という遣唐留学生の名は日本の記録にも中国の記録にも残っておらず、いったい誰を指しているのか全く分かっていません。
彼が生きた証拠はこの短い墓誌銘だけ。どんな人物だったのかなと想像を巡らしていると、ふいに川原泉さんのマンガ『中国の壷』に登場する安曇羽鳥を思い出し、重ねてしまいました。安曇羽鳥もフィクションの人物ではありますが、志半ばで異国に倒れた遣唐留学生なんですね。
安曇羽鳥は素直で純朴な田舎者。でも、とにかく「いつ来るかわからない船を待ちながら、国のため、妻のため、子のため…」ひたすら熱心に勉強する。しかし熱病に倒れ、臨終の際には「せめて一目なりとわが子、わが妻に…」。読み返したら、思わず涙が出そうになってしまいました…。
話を井真成に戻しますが、彼が亡くなったのは唐の開元22年(日本天平6年=西暦729年)。年は36歳でした。時の玄宗皇帝はその死を悼んで「尚衣奉御」という位を贈ったそうです。異国の地でありながら墓誌を持った墓がきちっと作られたわけですから、唐で出会った人たちに惜しまれた人物だったのでしょうね。とはいえ、お世辞にも立派なお墓とは言えないものですが。
墓誌の最後には「形既埋於異土、魂庶帰於故郷」と遺体が中国にあっても、魂は故郷へ帰ることを祈る言葉がありました。この墓誌を書いた当時の中国人に対して、思わず胸が熱くなる思いです。墓誌だけですが井真成、没後1300年近く経ってからの奈良の都への帰還。せめて、心の中で「お帰りなさい」と言いたいものです。
■関連記事
→新・シルクロード 第10集・西安
→半木堂のつぶやき:お帰りなさい井真成さん。
→RYOさんのblog:遣唐使と唐の美術 奈良国立博物館
2005/12/04日 井真成の故郷と言われる葛井寺にて、遣唐使井真成の追悼法要や遣唐使にまつわる行事が行われます
★森快隆さん
葛井寺のご住職さまですよね。コメントありがとうございます。
井真成の素性ははっきりしないものの、
現在の大阪府藤井寺市付近を本拠地とした
葛井氏か井上氏の出身だ、といわれているのですよね。
井真成に関する藤井寺市での催しについては
http://www.geocities.jp/imanarikenkyukai/
が詳しいです。一応、紹介まで。