碧穂さんへの同行記の続き。風俗博物館を出ると、すぐに京都から近鉄に乗って奈良県へ移動です。奈良文化財研究所の飛鳥資料館へ特別展「キトラ古墳と発掘された壁画たち」を見るためでした。
近鉄でも宣伝に力を入れているらしく駅内に多数のポスターが貼られ、券売機の横には「飛鳥資料館の最寄駅・橿原神宮前までは○○円です」という表示。さらに駅内放送、前売入場券の販売と本当に熱心なことでした。橿原神宮前駅に到着すると、西口から資料館までの直通バスが運行中。私たちもそのバスに乗ります。
資料館へ到着すると、平日とは思えない人・人。白虎を見るための待ち時間表示が行われていましたが、40分とのことでした。白虎公開が始まってから、資料館開館以来の入館者数を記録しているそうですが、半端ではありませんね。平日だったんですけれど。
飛鳥資料館へ入るのは私は初めてでした。白虎を見る前に順路に従って平常展から。常連の碧穂さんは「普段は順路が決まってないのに~」と仰ってましたが。飛鳥という地域全体の古代に関する展示で、特に蘇我倉山田石川麻呂ゆかりの山田寺仏頭が印象深かったです。
石川麻呂は蘇我入鹿の従兄弟。大化改新の際には娘を中大兄皇子に嫁がせて皇子側に立ち、蘇我本家滅亡後に右大臣となりますが、五年後謀反の疑いを受け、建立中の山田寺にて自殺しました。あまり有名な人ではありませんが大化時代の大豪族で、持統天皇や元明天皇は孫にあたります。
その山田寺の仏像ですが、現存するのは頭だけ。そのため「仏頭」と呼ばれます。後に興福寺が強奪したことで有名(笑) しかし頭だけでもかなりの大きさで、今は見れない全体の姿を想像するだけで、石川麻呂の権勢が想像できますね。
ほかに高松塚古墳の換気設備に関する展示もありましたが、壁画にカビを生やしてしまったことが分かる今となっては、ちょっと苦笑ものですね。
…と一人で初めての飛鳥資料館の展示に浸って、碧穂さんたちをお待たせしてしまいました。これは失敗。さらに奥の部屋では山田寺回廊の原寸大再現があったのですが、その部屋の半分ぐらいが、白虎目当ての列の最後尾で埋まってます(汗) 本当は回廊もゆっくり見たかったのですが、見ている間に列がどんどんと長くなっていってますので。慌てて列の最後尾に加わりました。回廊は次の機会に。
最大の目的のキトラ古墳の白虎の展示。両左右を警備員が固め、係員の指示に従って次々に見ていく物々しいものでした。実際に見れたのは1分もない、かなり短い時間。大行列ですから仕方ないとはいえ…ちょっと残念。
結局、壁画をじっくり見ることができたのは、地下にある写真のコーナーででした。”赤外線デジタル写真”だとかで、ある意味生で見るより良く見えるんですけれど…なんというか。
しかし”白虎”といいますが、首は長く曲がっていますし、どう見ても”虎”とは別物ですね。単に白い虎をイメージしていた私の想像力が貧困なだけですが(苦笑) 北に描かれている”玄武”も、亀と蛇が絡みあっているわけで、”玄武”という動物というわけはないみたいです。
私が分からないなりに興味があるのが、天井に描かれているという天体図。北斗七星ぐらいは分かりますが、他はギリシア神話系の星座名に慣れていると全然分かりません。でも天空の星々を古代人はこんなに違う見方していたんだなぁと、ちょっとロマンを感じます。「天文を能くした」と史料にある天武天皇に思いを馳せたりして。
白虎の展示自体は5月28日で終わってしまいましたが、特別展「キトラ古墳と発掘された壁画たち」自体は6月25日まで催されています。白虎の展示が終わった今はもう混んでないでしょうから、飛鳥の気持ちの良い自然を堪能ついでに訪れるのも良いですよ(^^)
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→紀行:キトラ古墳・白虎
まあ、奈良に来られてたんですか。
ようこそ!(遅)
明日香はめったに行かないのですが、普段はのんびりとして穏やかな土地なのに、高松塚古墳のカビやキトラ古墳の壁画の件で連日話題になっていますね。
日本の古代人がどんな風に天体を捉えていたのか。
ギリシャの神話に馴染みがあるだけに、考えるとおもしろいですね。
どうもお邪魔しました(笑)
最近、神戸ばかり行ってましたが、
奈良県にも割と行くんですよ~。
大阪に引っ越して奈良に行きやすくなりましたし。
古代史ファンとしては明日香詣・奈良詣は欠かせません(笑)
能の舞台となった土地を訪ねてまわるのも好きですが、
奈良が舞台の能も多いので、そのうち計画立てて行くと
思います(^^) 明日香にも『飛鳥川』(喜多流のみ)という
曲があるらしいので。飛鳥川の眺めのいい場所を探さねば。
日本の古代人がどんな風に天体を捉えていたのか。
ギリシャの神話に馴染みがあるだけに、考えるとおもしろいですね。