姨捨山に照る月を見て

 昨日、能の最高秘曲とされる「三老女」の一つ『姨捨』を初めて見ました! 会は大西信久二十三回忌追善能です。先に書いてしまうと、非常に素晴らしい舞台でした。

大西信久二十三回忌追善能
◆10月29日(土)11時~ 於・大阪能楽会館

★観世流能『姨捨』
 前シテ(里女)/後シテ(老女)=大西智久
 ワキ(都人)=福王茂十郎
 ワキツレ(同行人)=福王知登・永留浩史
 アイ(里人)=茂山千之丞
 地頭=杉浦元三郎
 笛=赤井啓三 小鼓=荒木賀光 大鼓=山本孝 太鼓=三島元太郎

★大蔵流狂言『魚説経』
 シテ(出家)=茂山千作
 アド(都人)=茂山千五郎

★観世流舞囃子『花筐』
 シテ(照日ノ前)=観世清和
 地頭=大槻文蔵
 笛=野口傳之輔 小鼓=久田舜一郎 大鼓=辻芳昭

★観世流能『融-十三段之舞』
 前シテ(汐汲の尉)/後シテ(源融大臣)=大西礼久
 ワキ(旅僧)=江崎金治郎
 アイ(所の者)=茂山千三郎
 地頭=梅若吉之丞
 笛=野口亮 小鼓=大倉源次郎 大鼓=山本哲也 太鼓=上田悟

 あまりに『姨捨』の感動が大きかったので、もう『姨捨』の感想だけを書きます。他は蛇足以外にはならないように思うので。

 前日にちと所要あって三重県まで行っていたこともあって、正直『姨捨』はキツいなとは思ったのですが、先週に『恋重荷』で撃沈してしまった悔しさをバネに、しっかりカフェインを摂取してから挑みました(笑)

 しかし、途中からはそんな心配よりも舞台の引き込む力が凄くて、途中から目が離せなくなってしまいました。老女物ですからゆったりした舞に謡・囃子なんですが、その一足・一句・一手が非常な質量を持って迫ってくる。まさに能の真骨頂です。

 そして、その一足・一句・一手がただただ重いのではなくて、ひたすらシンと澄む、澄み切ったものなんですよ。序之舞の途中で、シテが座りこんで左袖に扇を載せて覗き込む型があったのですが、それが前半と後半(特に後半は舞の直後)に一度ずつ謡われる「我が心慰めかねつ更科や。姨捨山に照る月を見て」という和歌とぴったりと重なり合って、ああ、扇の鏡に写る月を見ているのだと、とても自然に心に染み込んでくるのように伝わってきたのでした。

 『姨捨』は信州更科の棄老伝説を元ネタとする能で、その詳細は間狂言が語ります。ある幼子が両親を亡くしたため、伯母が引き取って育てることになった。その子が成長して妻を迎えるが、その妻が義母のことを疎ましく思って、棄てるように夫に勧める。仕方なく男は、山に霊験あらたかな仏がいるから拝みに行こうと言い、義母を背負って山深いところに置き去りにして帰る。しかしどうしても辛いため、後になって妻に隠れてもう一度、山に行ってみる。すると義母は死んで石になっていた…と。

 こう聞くと凄まじい話で、その内容とアイの茂山千之丞師の語りの力と相まって、貰い涙が出そうなぐらいだったのですが、その悲しみや恨みをシテはほとんど見せないのです。むしろ更科の名月見物に来た都人(ワキ)という同好の士を得て、一緒に月見ができることが嬉しいし楽しい、という澄んだ雰囲気。もう悲しみも突き抜けているのでしょう。ただ最後に夜が明けて都人たちが帰ってしまうと、再び置き去りにされたのだと、その背中がなんとも寂しく見えたものでした。

 アイが凄まじい話を語りながらも、シテはその様子は見せない。里人(アイ)という他人が語るからこそ、却って老女(シテ)の澄んだ境地が引き立つ。さすが秘曲と呼ばれるだけの曲だけあって、隅の隅までよく出来ていますね。シテ・ワキ・囃子・アイ、全ての演者・演技がこれでこそ、と感じたステキな良い能を見れました(^^)

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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