室町と言えば、京都でも繊維・呉服関係の商社が多いあたりですが、その近くに繁昌神社という小さな神社があります。社伝によると、1000年ほど前、この神社から少し北西に行ったところにある「班女塚」あたりに造られた神社だということですが、この班女塚、『宇治拾遺物語』にある「長門前司の娘、葬送のとき本の処に帰る事」という話にちなむ塚だと言われています。
以下、その記述を要約。この地に住んでいた前長門守には2人の娘がいた。その中の妹は未婚のまま病死した。葬送の折、遺体を棺に入れ墓地へ運んだが、墓地に到着すると遺体がない。なんと、家の戸口に戻っていた。幾度となく試みるも、遺体は全く動かないので、ここに塚を造って葬った。
後、この塚を祀る神社が立てられ、班女神社と呼ばれたのだそうです。
しかし、この『宇治拾遺』の話を読んでも、なんで「班女」と呼ばれたかの理由についてはよく分かりませんね。祭神と同体とされる弁財天の別名「針才女(はりさいじょ)」が訛ったものだとも言われていますが、ちょっと苦しい気がします。
一応、能にも同名の『班女』という曲があります。遊女・花子が吉田の少将と契って以来、その形見の扇を見つめるばかりで他の客の相手をしなくなってしまったことから、宿から追い出され、物狂いとなって京都まで流れ、そこで少将と再開する恋愛ストーリー。
この能『班女』の場合、中国前漢の成帝の寵姫であった班婕妤が、帝の寵愛を失ったときに自分を「秋の扇」に例えて詩を詠んだという故事に因んで、恋人の扇に執着する狂女となった花子が「班女(班婕妤の略称)」と呼ばれたことによるのでしょうけれど…。
能『班女』と、この繁昌神社・班女塚との間に関わりがあるのかどうかは、今ひとつよく分かりません(^^;) 何よりも能『班女』の舞台は、京都では下鴨神社糺の森。文中にすら下京のことが登場しないので、関連は薄いと思われます。
ともかく「班女神社」は、遺体が怪異を表したものを祀っているということで不吉がられたのか、いつのころからか、音の似た繁昌神社と改名され、その周辺は「繁昌町」と呼ばれるようになったようです。…なんだか京都人のたくましさを感じますね(笑)
しかし、未婚のまま亡くなった女性という伝説は残り、未婚女性が班女塚を訪れると結婚できなくなるという言い伝えもあるそうです。
能『班女』ゆかりといえるのかは分かりませんが、いちおー。
私も『宇治拾遺』を扱った史学&考古学の講義で
班女塚の存在を知りました。
一瞬「これって謡曲史蹟!?」と、わくわくしたのですが
説話を読めば読むほど・・・能とは関係なさそうですよね~。。
なんで「班女」なんでしょうね?ほんと不思議です。
ちひろさん、コメントありがとうございます。
能『班女』と班女塚を結び付けて説いた論文などもあるらしいです。
直接読んだことはないですが、結論としては、班女塚の説話などを
踏まえて能が作られたのだろう、ということだそうですが、
だとしても、能『班女』には、下京のことが全く登場しないし、
あらすじも全く違うので、素人ながら関係なさそうと思います(^^;)
本当に、この塚がなんで「班女」なんでしょうね?謎です。
初めましてです。
その後、班女塚の事はお解かりになりましたでしょうか?
私今、宇治拾遺物語や今昔物語集と言った説話文学に嵌っておりまして、
本日NHKラジオ第2(AM)の古典講読を聴いて班女の塚が見たくてここに辿り着きました。
私も最初は能「班女」の原典かと思いましたが、
城西国際大学・三木紀人教授の解説により理由が解りました。
未婚のまま亡くなった妹には本文にもありますが、結婚はしていませんでしたが、
「ただ時々かよふ人などぞありける」時々通って来ては逢瀬を楽しむ男がいたのです。
ここがこの説話中一番重要なところだったのです。
妹はこの男性の事を本当に愛していたのではないでしょうか。
出来る事なら夫婦になりたかった。しかしなれなかった。
しかも、この男に対する想いを残してこの世を去ることになってしまった。
妹は恋しい男を「待つ」女だったのです。
そこで件の中国の故事及び能「班女」の由来↓
>能『班女』の場合、中国前漢の成帝の寵姫であった班婕妤が、帝の寵愛を失ったときに自分を「秋の扇」に例えて詩を詠んだという故事に因んで、恋人の扇に執着する狂女となった花子が「班女(班婕妤の略称)」と呼ばれたことによる。<
恋しい人の寵愛を受けられず、なお執着する女の事を故事をひいて「班女」と呼んだのならば、
亡くなった妹もまた「班女」の一人だったのです。
「班女」花子は男を想って待ったが追放され、流れて行った下鴨神社で物狂う。
「班女」妹はひたすら恋しい男をいつもの場所で待ち、
その執心から死んだ後も動かず同じ場所で男を待ち続けるしかなかったのです。
と言う訳で、能「班女」とは何の関係もありませんでした。
しかし、能の成立より遥か以前の史跡が切ない説話と共に、現代に残っているなんて、なんて素晴らしい事でしょうか。
私も能楽が好きで、東京方面で月2回観能などと言う事をかなり長い事致しておりましたが、
現在、謡曲の心の理解を深めるべく、
その典拠となった古典文学を読み漁っております。
今年は舞台にも行かず図書館通い。
そろそろ舞台も観たくなってきました。
TAKAさんさん?(さんが重なりますね(^^;)
初めまして。細かい解説ありがとうございます。
>>恋しい人の寵愛を受けられず、なお執着する女の事を故事をひいて
>>「班女」と呼んだのならば、
>>亡くなった妹もまた「班女」の一人だったのです。
中国の班婕妤と、能の『班女』は扇による繋がりがありますが、
繁昌神社の班女塚の話には扇が登場しません。
「恋しい人の寵愛を受けられず、なお執着する女」でしたら、
別に班女以外にも故事はありそうに思うのですが。
なぜ"班女"なのでしょうね。その辺りが私の疑問なんです。
「舞台にも行かず図書館通い」と仰らず、ぜひ舞台も楽しんでくださいね。