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河内国八尾に住む男が死んでしまい、行く先の分岐である六道の辻に休みます。そこに閻魔大王が現れ、近ごろは人間が利口になって仏教が諸宗に分かれてはそれぞれ信者を極楽に送ってしまうので地獄は飢饉であり、今日は自ら六道の辻に出て良い罪人がいれば、地獄に責め落とそうと言います。早速見つけた八尾の男を責めますが、鼻先に八尾の地蔵の手紙を差し出します。八尾の地蔵と閻魔は昔、深い仲だったことから、受け取る閻魔。手紙を読むと、この亡者は八尾の地蔵の檀那・又五郎の小舅であるので極楽にやって欲しいという依頼状です。頼みが聞かれぬ場合は地獄の釜を蹴り割ると書いてあるので、八尾の男は急に気が強くなり、閻魔は仕方なく男を極楽へと送るのでした。
地蔵菩薩は地獄にも現れ慈悲を示す仏だそうで、一説には閻魔大王と同体ともされます。とにかく、地蔵を敬えば地獄に落ちずに済むという地蔵信仰の、狂言版だと思うのですが…それにしてもショッキングな話です(^^;) 能の鬼物のシテにも似た金入りの装束に赤頭で恐ろしげなんですが、面はどこか愛敬のある「武悪」。最初は重々しく「地獄の主、閻魔王」と次第を謡ながら登場しますが、地蔵との関係を告白するところで、権威もぶっ飛んでしまいます。それにしても過去の秘め事の公開の割にはあっさりしてます。 「閻もじ参る、地より」との手紙の書き出しを見て昔を懐かしがるのは人情ですが、その後、わざわざ 閻魔「汝は八尾の地蔵よりこの閻魔王へ、文を送らるる仔細を知っているか とわざわざ言い聞かせなくとも、と思うのですが(笑) 私なら今は時効だろうと思うような恋の告白だって、恥ずかしいものですけれどねぇ(^^;) ましてや閻魔と地蔵。一大スキャンダルです。まあ、大らかというか、赤裸々というか。手紙は謡うように読まれるのですが、緩急があって「それを背かば地獄の釜をも蹴破るべし」の部分からは急調子。それに併せて罪人はだんだん強気になって、最後には床机に座った閻魔王をつき飛ばしては、自分が座る始末です。 それでも男を極楽に送る閻魔王っていじらしいです。懐には昔の恋人の手紙を大事そうに抱えてます。 現在の大阪府八尾市には、745(天平17)年にかの行基が創建したと伝えられる常光寺があって、本尊の地蔵菩薩像は地元の人々に厚く信仰されたといいます。 この地蔵菩薩像、平安時代前期の貴族・小野篁が造ったとされているんですが、小野篁は昼間は日本の朝廷に仕え、夜は冥官として閻魔庁に仕えていたという伝説が『今昔物語集』などにあります。彼が冥界に通うのに使っていたとされるのが、京都市東山区にある珍皇寺の井戸なんですが、かつては死者を鳥辺野へ葬送する際の野辺送りの場所で、「六道の辻」と呼ばれたとか。 八尾地蔵→小野篁→六道の辻→閻魔王。なんだか繋がってきますね(^^) (2004/11/11) |
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