永く都にいた大名ですが、ついに晴れて国へ帰ることになりました。そのため、都にいた間に信仰していた因幡堂の薬師如来へお礼と暇乞いをするため、太郎冠者を連れて出かけます。拝んだ後、大名はこの薬師を国もとへ勧請したいと思い、お堂の様子を詳しく見て回ると、破風の鬼瓦が目に留まります。鬼のいかつい顔を眺めるうちに国もとに残してきた妻に似ていると気づき、懐かしさのあまり泣き出しまいます。しかし、太郎冠者にもう帰国して会えると慰められ、気を取り直して二人で大笑いして帰る。
シテの大名は訴訟ごとがあって故郷を離れ上京してきていました。中世には地方裁判所はありませんでしたので、幕府のお膝元の町まで出向かねばならなかったわけです。交通も今とは比べものにならないぐらい不便でしたから、時間も費用も今とは全く違うものだったことでしょう。
時代も場所も違いますが、鎌倉時代には『十六夜日記』という、領地をめぐる訴訟のために鎌倉へ下る道中を文学に仕上げたものもあります。
訴訟の間はずっと滞在しなくてはならないわけですから、いわば単身赴任にも近いイメージでした。そういうことを背景として理解しておくと、狂言『鬼瓦』はより理解できます。
しかし、鬼瓦を見て妻の顔に似ていると気づいて泣き出すって…これが狂言ですよね(^^;) 嘆きながら鬼瓦と妻の共通点をひとつひとつ具体的に挙げながら嘆くものですから、どんな奥さんなんだろうと思ってしまいます。そして隣で、太郎冠者がごく冷静に「あの口をクワッと開いた部分などは確かに似ています」などと相槌を打ってるのも…おいおい。
しかし、大名の今まで一人の日々を送ってきたこと。そして、鬼瓦に似ているといいつつ、寂しさを思い出して泣いてしまう大名に微笑ましさと夫婦の愛を感じてしまいます。太郎冠者に慰められると泣き止み「泣いて損した」という単純さも、愛すべき性格。
単純な仕組みの小品ですけど、心に残る良い曲だと思います。
(2005/02/14)
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