ある男が友人を誘って早春の野遊びに行きました。土筆が出ているのを見つけて、ふたりで土筆を取った後、「つくづくしの首しおれてぐんなり」と和歌を詠みます。すると友人は、和歌に「ぐんなり」はおかしいと指摘しますが、男は「…風騒ぐんなり」という古い歌がある、と言い張ります。次に芍薬の芽を見て友人が「難波津にさくやこの花冬ごもり 今は春べと芍薬の花」と古歌を詠みますが、今度は逆に男のほうが、それは王仁の和歌で「…咲くやこの花」の間違いだと笑います。すると、さっきの「…ぐんなり」のことを持ち出して笑う友人。男は怒って友人に相撲を挑みますが、逆に打ち倒されてしまうのでした。
(あらすじは一例)
土筆や芍薬の花が一面に広がる野の情景がのどかで大好きな曲です。そんな良い環境の中で、お互いにちょっと背伸びをしたかったのか、うろ覚えの和歌を詠み始めたために最後にはケンカになってしまいます。このおバカさが愛すべき一般庶民。狂言の大好きなところです。
原典の和歌を知って観るとより楽しめるはずです。「ぐんなり」の元歌は『新古今和歌集』にある慈円の和歌「我が恋は松を時雨の染めかねて 真葛が原に風騒ぐなり」。一方の「芍薬の花」は『古今集和歌集』仮名序に載っている「難波津にさくやこの花冬ごもり 今は春べとさくやこの花」で、どちらも昔は良く知られた和歌だったといいます。参考までに、江戸時代の初めに安楽庵策伝が編纂した咄本『醒睡笑』にも、「難波津に…」の和歌を間違って引く話があるそうな。
茂山千五郎家の『土筆』の台本がサイトに掲載されています。
「そろりそろり参ろう」の管理人・さおりさんが指摘くださったのですが、大蔵流『土筆』では、「ぐんなり」と「芍薬の花」の両方ともシテが言うこともあるそうです。そうなるとシテがボケて、アドが突っ込むという展開になり、2つも間違えた上に最後に相撲にも負けるので、シテは散々ですね(笑)
和泉流の『歌争』では、話の展開の順番が違っています。アドがシテを野遊山に誘いに行くと、新しく作った庭を見せられて、そこで芍薬の花を見つけたアドが「難波津に…芍薬の花」と古歌を引いてシテに笑われます。そしてその後、二人で野に出て土筆を見つけ、シテが「春の野につくづくししをれてぐんなり」と詠み、笑われると「風騒ぐんなり」を挙げますが、却って「ぐんなりぐんなり」と間違いを笑われます。そしてその末、相撲になるのです(和泉流は観たことがないので、本の知識としては)。
狂言が家や流儀によって、細かい差異がある例ですね。
(2004/04/14)
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