主人に謡を謡えといわれた太郎冠者は、酒を飲まないと声が出ないとか、妻の膝枕でなければ謡えないなどともったいをつけます。主人は太郎冠者に酒をふるまい、自分の膝に寝かせて謡わせます。主人が寝ていないと声が出ないという太郎冠者の体を起こすと、やはり声がかすれて出ません。しかし、何度も寝かしたり起こしたりしているうちに、太郎冠者が取り違えて、寝かせると声がかすれ、起こすと声が出、しまいには調子に乗って立って舞い始めてしまうのでした。
太郎冠者は謡うのをしぶりますが、決して謡うのが嫌いなわけではないようです。だからこそ、主人が見ていないところでは、時々一人謡っては楽しんでいたわけです。ただ、主人の前では恥ずかしいし、これからもたびたび謡わされるのは迷惑だと思い、もったいつけては諦めさせようとするわけですね。
しかし、主人はどうしても太郎冠者の謡が聞きたい。そのため、酒を飲ませるのにわざわざ大盃を持ち出してきます。太郎冠者もここぞとばかり、何杯も飲みます。そんなにしこたま飲むからこそ途中で取り違え、挙句には立って舞い始めてしまうです。
もともと謡ったり舞ったりすることは好きだから当然です。好きで謡や仕舞を習えば誰だって分かる気持ちですよね(^^) ましてや酒を飲んだ後ならば。
ちなみに最後に謡うのは大蔵流では能『放下僧』の「小歌」、和泉流では能『海人』の「玉之段」です。大蔵流の場合は寝かしたり起こしたりしている間にほとんど謡ってしまい、舞うのは少しだけですが、和泉流の場合は半分以上を残して舞に入るので、しっかり舞うことこそ見せ所といえるでしょう。
ましてや、「玉之段」は龍宮に奪われた宝の珠を、海人の女性が息子の未来のために必死で取り返しに潜りこむ箇所。息もつかせぬ迫力を味わいたいですね。
結末も両流儀で異なります。和泉流では舞が終わりかけたところで主人が「おのれ、その声はどこから出た!」と叱り、逃げる太郎冠者を追って帰りますが、大蔵流では主人は舞に感心して「声もよう出て面白いことであった」と太郎冠者を褒めます。もっとも太郎冠者は「南無三宝、忘れました。許させられい」といって逃げてしまいますが。私はこの大蔵流の結末の大らかさが大好きです。
(2004/09/21)
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