附子(ぶす) 「能楽の淵」トップページへ


■あらすじ

 用事に出かける主人が、太郎冠者と次郎冠者を呼び出し留守番を言いつけます。主人は桶を指し示して、この中には附子という猛毒があるから注意せよ、と言い置いて出かけますが、二人は怖いもの見たさで桶のふたを取ってみると、中に入ってたのは砂糖なので、二人で桶を取り合って皆食べてしまいます。更にその言い訳のためといって主人秘蔵の掛軸を破り、台天目を打ち割ります。やがて主人が帰宅すると二人揃って泣き出し、留守中に居眠りをせぬように相撲をとっていたうちに、大切な品々を壊してしまったので、死んでお詫びをしようと猛毒の附子を食べたがまだ死ねないと言いますが、主人は当然の如く怒り、逃げる二人を追うのでした。

■ゆげひ的雑感

 初心者向けとしてよく演じられる狂言です。

 実は「附子」というのはトリカブトの根を乾かして精製する猛毒のことです。主人も物騒な名前を持ち出してきたものです。「吹く風に当たってさえも滅却するほどの毒(滅却は命を失う意味)」と、効能も大げさに説明して主人は出かけていきます。一方の砂糖ですが、今の精製された白砂糖のことではなくて、黒砂糖。しかも水飴の形態で保存されている貴重品だったといいます。

 その貴重な砂糖を太郎冠者・次郎冠者に食べられまいと「附子だ」などとウソをつくことがこの悲喜劇の始まりです。両冠者が砂糖を全部食べてしまうのはもちろん、めったに食べられない甘い食べ物だったということもありますが、主人が自分たちにウソをついたこと、つまり信頼関係が崩されたことに対する腹立ちがそうさせた面もあるに違いありません。その結果、主人は砂糖だけでなく掛軸や台天目まで失ってしまうのです。

 ちなみにその台天目。 掛軸の方は分かるとして、一体何なのだろうと前から思ってました。大学での美術史の講義で教授に聞いたところ、台天目とは台に載せた天目茶碗のことで、天目茶碗とは室町時代、 中国浙江省の天目山に留学した禅僧が持ち帰ってきた茶碗のことだそうです。後、日本でも真似た茶碗が作られるようになり、それらも天目茶碗と呼ばれるようになります。茶道では貴人用などに最も格式の高い作法を用いて使われるもの。下の、地に付く部分が小さいため、天目台にのせて使うのです。

 台天目の中でも特に目立つものとして、光を当てるとさまざまな色に輝く曜変天目茶碗があり、今では世界中でも日本にしかないものとなっているとか。国宝となっています。

 掛軸も流儀や家によっては「牧谿和尚の墨絵の観音」と具体的に言うことがあるそうですが、牧谿は13世紀に活躍した中国の禅僧で画家で、彼の水墨画は日本において最高級の評価が与えられています(中国では14世紀の本に「粗悪にして古法なし」と酷評されてたりもしますが(笑))。実際、京都紫野にある大徳寺には牧谿による観音図が伝わっていますが、これも国宝です。…国宝に連なるようなものを惜しげもなく壊す両冠者って…(^^;)

 掛軸を引き裂いたり、台天目を打ち割るという演技は型と口でいう擬音語で表されます。これは狂言ならではの表現方法ですが、実際にものを壊さないことで観客が普通に笑ってられるのだと思います。実際に掛軸を破ったり茶碗を割っていたら、どうしてもわだかまりができますよね。

 ところで、京都観世会館にも程近い岡崎の細見美術館のショップには なんと『附子』という名の水飴が売られています。 京都に行かれる方は話のタネに買ってみるのも面白いですね。

(2004/10/09)

DATA

大蔵・和泉
(和泉流・野村又三郎家では『不須』と書く)

分類:太郎冠者狂言


登場人物
シテ:太郎冠者
アド:主人
アド:次郎冠者

オススメ本
野村萬斎の狂言 野村萬斎の狂言
小野幸恵、(二世)野村萬斎
 子ども向けの本ですが、子ども向けだけにしっかりと丁寧に狂言のことを解説した好著です。『附子』の写真も載ってます。

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