大鼓の稽古『敦盛』

 大鼓の稽古は、前にやっていた『自然居士』を追えて、今度は『敦盛』の舞囃子です。『敦盛』については能楽の淵>能の曲を語ってみる>敦盛に載せているので、そちらを参照ください。

 正直な話、私は平敦盛という人物に関しては哀れだとは思うんですが、好きとか嫌いとかと言えるほどの記録が残ってないので、正直印象が薄い人物です(^^;) ワキになっている蓮生法師(熊谷直実)の方がよほど人間的魅力を感じますし。

 ですが、能『敦盛』は好きです。滅びの美学というんでしょうか。実際には美学なんて言ってられる世界ではないと思いますけど、日本人好みですよね。そして私もしっかり日本人であるようなのです(^^;) クセ(=能の真ん中ほどにある、謡の聞かせどころ)の仕舞は好んで何度も舞った曲ですし、キリ(=能の最後の部分)の謡も好きでした。

 曲の構成としては武士の亡霊をシテとした能ながら修羅道の苦験を表す「カケリ」がなく、シテは討たれる前夜の管弦の遊びを思い出しつつ「黄鐘早舞」という舞を舞います。…が、この「黄鐘早舞」が曲者(^^;) 大鼓の手でいうと、直面(=能面をかけずに演じること)の曲で舞われる「男舞」と全く同じなのです。笛は「男舞」と「神舞」を組み合わせた譜を吹くと聞いて、ますます混乱でした。

(ちなみに、あくまで私が習っている大阪仕様では、ということです。それぞれの流派が変わると話が違うってことも多いですので…念のため注記)

 結局、大鼓の手は頭に入っていながらも、雰囲気が掴めず随分つかえました(^^;) 管弦の遊びの場面から修羅の戦いの場面に移るにつれて、いきなり調子があがるし。頭の中ぐるぐるになりながら、大鼓を打っていたので師匠に「一応曲がりなりには『敦盛』の形にはなってるけど、なんか力不足」と言われてしまいました(苦笑)

 「せんかた波に駒をひかへ。呆れ果てたる。有様なり」というキリの謡は、気持ちとしてはテンポアップしているのに、手が少ないので無理にブレーキをかけるような部分もあって。難しいです。まあ、間と間を引き伸ばすような独特の演奏が、大鼓の醍醐味だと思うんですけどね。

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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