少し前の話なんですが、休みの日に国立文楽劇場へ。文楽四月公演の第一部最後『勧進帳』を幕見、続けて第二部の『菅原伝授手習鑑』を見ました。
不定期な休みの仕事なので、一日だけの公演が基本の能や狂言よりは、ある一定の期間ならずーっと公演している文楽や歌舞伎の方が見に行きやすいということに気付きました(笑) …とはいえ私、文楽や歌舞伎もかなり好きになってきましたが、能や狂言の方がもっと好きなんですよね。能楽界にも平日公演の充実を強く希望です!
最初の『勧進帳』は、能『安宅』の文楽バージョン。ですから、あらすじはこちらの『安宅』についてを参照下さい。
幕が開くと、前に『寿式三番叟』で見たのと同じ能舞台を模したセット。最初に、富樫(能ではワキ)と番卒(アイ。複数)が登場しますが、その囃子は能と同じ名乗リ笛。「かやふに候者は。加賀の国富樫の某にて候…」というセリフも能と全く同じです。次の「旅の心は篠掛の」と能の次第と同じ文句が入りますが、この時、奏せられる大小鼓も能の囃子と同じで、それに合わせるように大夫が語っていました。
続いての「露けき袖や萎るらん」から三味線が入り、文楽らしい雰囲気に移行していきます。供の数も能ほど多くなく、一行は弁慶・義経・四天王の合計6人です。能の場合、弁慶・義経に山伏が9人、アイの強力を併せて合計12人。そこに『安宅』の何とも言えない醍醐味があると思うので、かなり雰囲気が変わってきますよね。
…しかし文楽で一行が12人もいたら、三人遣いですから、舞台上が人形遣い36人!とか(笑) 富樫側も含めると、40人以上の人形遣いでひしめきあって大変危険ですよね
代わり(?)に人数が多いのは大夫と三味線。普通の演目の場合、大夫と三味線一人ずつなんですが『勧進帳』だと大夫が9人、三味線が7人。それぞれが掛け合いで、それが大迫力でした。
文楽の『勧進帳』が能『安宅』と最も違ったのが、弁慶が義経を金剛杖で殴った後の部分。能では「金剛杖をおつ取つて散々に打擲す」と打ったそのドサクサに「通ればこそ!」と義経を送りますが、富樫の従者に留められ、そこで9人の山伏たちが刀に手をかけて富樫に詰めよるという箇所があります。能の『安宅』は富樫と弁慶の間の緊張感こそがポイントだと思いますが、その際たる部分です。
しかし、文楽にはその詰めよる部分がありません。その分、弁慶が義経を殴るのが能より酷いです。義経、ボコボコ 能は様式性が特に強い芸能だというのもあるのでしょうが…「この杖にて打殺さば、彼も成仏致すべし」なんてセリフがありますが、本当に義経を殴り殺し兼ねない勢い。富樫は突然目の前で始まった殺人未遂に慌てて「ヤレ暫く」と言ったという印象を受けました(笑)
忠義かな、これ? 迫力や技術・表現形態は大好きですが、文楽や歌舞伎の筋に時々感じる妙な道徳はやっぱり慣れません。「心を鬼にして主君を殴る」というと美談に聞こえるかもしれないですが、私はどこか勘違いしてると思ってしまうんですよねぇ…。
安宅の関を抜けた後は能舞台のセットが取り外され、海辺を背景にした舞台に一変します。そこで最後の見せどころ弁慶の延年之舞が舞われますが…舞はやっぱ人間の方が良いでしょうか? 最後には六方というのでしょうか、カッコ良く見得を切りながら退場でした。今回の六方は舞台の中で踏んでいましたが、赤川次郎さんの『人形は口ほどにものを言い』によると、歌舞伎のように花道を作って、そこで六方を踏ませる演出もあるそうで、そちらも見てみたいものです。
続いて『菅原伝授手習鑑』。思った以上に『勧進帳』で長い文章を書いてしまったので、細かいことは書きませんが、最初の「車曳の段」で牛車の中から登場した藤原時平がカッコ良かったですね~。いかにも悪役。でも、堂々としていて「くわっと睨みし眼の光、大千世界の千日月、一度に照らすが如くにて。さすがの梅王・桜丸、思はず後へたぢたぢたぢ、五体すくんで動かず『無念無念』ばかりなり」。構図的にも、車曳の段だけなら、主役は藤原時平ですよね(笑)
ちなみに、菅原道真を左遷したことで国民的に評判の悪い藤原時平ですが、『延喜式』の編纂を行ったりと、政治家としては有能・優秀な人間だったんですよ~、と古代史専攻の人間としては主張したい(笑) まあ、歴史上の藤原時平や菅原道真と、浄瑠璃の登場人物は全くの別物だというのは分かっているんですけれどぉ。
あと「寺子屋の段」で、寺子屋の子どもたちの動きが可愛らしかったです。イタズラをしたり、ケンカをしたり。少々激しいですが、小学校でこんなのいたなぁ、と懐かしい気分に(笑) 深刻なシーンの直前に、少し緩む部分なのでしょうね。
■関連記事
→文楽と聴覚障害に生きる:勧進帳
私も先月の文楽地方巡業で『勧進帳』を見てきました。
太夫さんや三味線も多くて迫力でしたね。
最後の六方は舞台袖でした。花道があればもっと良かったなぁと思いましたが^^;。でも面白かったです。
『勧進帳』はみゆみゆさんの感想を拝読して
楽しみにしていたんですよ。ズラーッと並んだ大夫さんたちは、
ちょっと能の地謡をイメージしたり。
休憩時間に、黒子(?)さんたちが
懸命に座布団を並べているので、あれ、と思っていたら、
ゾロゾロ出ていらっしゃってびっくりしました。
花道を作るバージョンも見てみたいですね。
でも、客席が減るのでしょうか?う~む。
はじめまして。
私のほうにトラックバックをありがとうございました。
詳細に感想を書いていらっしゃるので、ありがたく拝見しました。
うなずくことばかりです。
文楽では本当に義経を殴っちゃいますね。歌舞伎でも能とに近いですから、あれは文楽ならではでしょうね。
どうしても「忠義」をテーマにしたくなるため、無理もあると思います。文楽の「勧進帳」は、正直言って私もあまり好きではないのです。
今回は太夫、三味線が大人数でしたが、演目が少なく、太夫の配置に困った結果というのがひとつの理由ではないかと…。
文楽でも花道の引っ込みを見せることはあるのですが、そうすると他の演目のときに花道が邪魔ですよね。とくに、たとえば昼の部で「勧進帳」を上演したら、夜の部には「使わない花道」が存在するわけです。そこで、夜の部にも花道の使える演目を持ってくることがあります。
本来花道を使わない「夏祭浪花鑑」や新作ものなどで見たことがあります。
「車曳」で中央に時平を置いて左(下手)に梅王丸と桜丸、右(上手)に松王丸と杉王丸を対置させ、遠近法で奥行きを出す形は他の演目でも見られる構図かと思います。
「寺子屋」のよだれくり、今回はまだおとなしいほうだったかもしれませんね。笑
またこちらのブログを訪問させていただきます。
古代史ご専攻なんですか? 私も平安文学です。笑
藤十郎さん、はじめまして。
コメントありがとうございます!
文楽はまだ見始めたばかりで、何も知らないだけに
好き勝手書いております。
『安宅(勧進帳)』は能では何度か見たことがありますが、
文楽では今回初めて見て、歌舞伎は未見です。
能って、武家に式楽として愛好されたわりに
妙な武士道めいた話ってあまりないですね。
むしろ、歌舞伎や文楽の方が…ちょっと面白いです。
花道を使うと、他の演目との兼ね合いもあるんですね。
なるほど。
『菅原伝授手習鑑』の「車曳の段」、
時平を中心に、左右に登場人物(人形)を置いて遠近法…
確かに! いやー単に時平がカッコいいなぁ、と
見ていただけなんで勉強になります。
「寺子屋の段」のよだれくりは、もっと激しい場合もあるのですか?
能や狂言の抑えた演技が好みな私としては、
あれぐらいがちょうど良いと思うんですけれどねぇ~。
去年まで学生でしたが、その時は古代史専攻だったのです。
平安文学というと、『大鏡』にある、雷神になった道真に
時平が剣を抜いて言い聞かせる話は好きです(^^)
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>柏木ゆげひさま
初めまして。風知草のとみといいます。上方で細々と観劇ブログやっています。情報量の少なさは馬齢と広角ウオッチングでカバーしています。
素謡いほんの少しかじったことありますが,諸事情により続けることが出来ませんでした。短い期間に文楽に傾注していきそうですが,能楽への未練も沸々と蘇ってきております。
ボキャブラリー不足で思いのまま勝手ブログしてますが勉強させて頂きにまいります。よろしくお願いいたします。
僭越ながら,昼夜拝見しましたので,取るに足りない拙文ではございますが,二本トラバさせて頂きました。
★とみさん
初めまして。コメント&TBありがとうございます~。
能と狂言をメインに、最近になって他の伝統芸能にも
手を出し始めた柏木ゆげひです(^^)
素謡をされたことがあるのですね。謡も良いものですよね。
文楽はまだ4度目と経験が浅く、役者さんのお名前も
大して存じ上げませんが、時々参っています。
ボキャブラリー不足なのはむしろ私です。なんか感想は
いつも同じような言葉が繰り返されてますもの(^^;)
また拝見させていただきに参りますね。それでは。