少し前に奈良県大淀町役場から、能楽座公演の案内をいただきました。能楽座公演に関しては、本家サイトの「関西能・狂言公演情報」に載せたので繰り返しませんけれど。
その案内メールによると、大淀町内にある桧垣本という土地は、吉野猿楽のひとつ「桧垣本猿楽座」ゆかりの土地なんだそうです。
まあ私は、観世流は結崎(奈良県川西町)にはゆかりがないのではないか、という表章さんの文章を読んで(しかも、それが『川西町史』に載ってます!)、それに納得してしまったので、「桧垣本猿楽座」という名前の猿楽座が中世に活躍したとしても、それが大淀町の桧垣本と関係があるのかは、きっちり説明してもらえないと、すんなりは信じられなくなっているのですが(笑)
ただ、『能・狂言事典』を読んでいると、笛方「森田流」の項に
この流儀を千野流、玄笛流ともいうのは、檜垣本彦兵衛-千野与一左衛門-牛尾玄笛-流祖森田庄兵衛(1597-1632)という芸系によるためである
とあり、笛方「一噌流」の項にも
流祖中村七郎左衛門は名人檜垣本彦兵衛(1527没)の弟子
さらに今は絶えた笛方「春日流」の項にも
流祖の浅沢市右衛門元道(1561-1617)は檜垣本彦兵衛(1527没)の弟子
とありました。大淀町からのメールにも
笛方藤田流の芸祖に桧垣本の名前が記されている
とか。能の笛方のどの系統をたどっても、「桧垣本(彦兵衛?)」という名前が出てくるのはすごいなぁ、と思ったのでした。…それだけなんですけれどね(^^;)
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