吉野太夫の演能~『観世』の連載より

 「江戸時代能楽繁盛記」は、去年(平成17年)の8月号から月刊『観世』において、大阪学院大学の宮本圭造助教授(日本芸能史)が連載されている記事です。猿楽(能楽)が武家式楽として位置付けられた江戸時代。しかし、実は能や狂言は武家に専有されたわけではなく、町人たちにも親しまれていたことを紹介する連載です。

 三井高房の『町人考見聞』には「惣体町人の子ども、能芸をこのみ習ふもの、他人のあいさつに譽まゝ、能囃子につれ行、遊芸を致させ候」とあるそうで、「町人の子供達が猫も杓子も能の稽古に夢中になっていた様子を記す。『お上手ですねー』と他人様がお世辞で誉めるのを真に受けて、町人の子供連中があちらこちらの囃子の会に出かけ、ますます遊芸の道にのめり込むのであった」と書かれています。

 最初の数回は京都の豪商たちの能三昧列伝で、これも面白いですが、私が特に興味を覚えたのは連載6回目(『観世』2006年1月号)に登場した、井原西鶴が『好色一代女』に「なき跡まで名を残せし太夫、前代未聞の遊女也」と絶賛したという吉野太夫が四条河原で能を演じた話。一目見ようと、男たちが詰め掛けたそうです。

 『わらひ草のさうし』という男の恋文の形式をとった小説には、吉野太夫の演能に関して「とりわけ忘れめや三番目の葛城に二人静」、シテをつとめた吉野太夫の姿を一目見てより「目もくれ、心も消え消えと成」って、片時の間も「おん面影身を離れず」明けても暮れても片想いの涙にむせぶ毎日を送った…とあるそうです。

 『わらひ草のさうし』は吉野太夫の演能にヒントを得たフィクションですが、吉野太夫の演能の時には実際に、お忍びで見物に来ていた織田常真(信長の次男・信雄)と織田有楽斎(信長の末弟・長益)の家来衆の間に大喧嘩が起こったそうです。観客席で興奮が頂点に達しての大騒ぎで、死者まで出ます。これを受けて幕府から「女能堅く御法度」女能禁止の御触れが出されることになります。

 吉野太夫の演能がいつだったのかははっきりしませんが、彼女が傾城の最高位である太夫になったのが元和5年(1619)で、家来衆が暴走した織田有楽斎の没年が元和7年(1921)ですから、その間ということになります。

 吉野太夫の年齢でいうと14歳~16歳。宮本助教授は「絶世の美女」と書いてらっしゃいますが、むしろ「美少女」ちゃうん…?(急に関西弁) 当時は数え年ですから、満年齢に直すには1歳か2歳引かなきゃダメです。吉野太夫の誕生日は3月3日で、演能は如月=2月だったそうですから誕生日前。すると下限の元和7年と考えても、吉野太夫は満14歳。14歳の少女の演能にそこまで興奮するか男たちよ!と思うんですが、記録が残っているんだから仕方ない。

 ところで、やっぱ美少女の演能ですから、能面はかけずに演じたのではないかな、と思うんですが、どうなんでしょう? せっかくの顔を面の下に隠してしまうと、それ目当てに集まったファンたちがよけいに暴れ狂うんではないだろうか、と想像しています(笑)

 江戸前期には遊女能が盛んに行われたそうで、連載5回目(『観世』平成17年12月号)に紹介されていますが、「目に付くのが、〈羅生門〉〈錦戸〉〈烏帽子折〉〈熊坂〉〈紅葉狩〉〈刀〉〈鐘引〉〈降魔〉など、切り組みや立ち働きを主眼とする現在能の類が多く演じられていることだ。…女武道もどきの演技に遊女能の見せ場があったことは確かである。絶世の美女が激しく太刀を振りかざす姿。そこに観客が拍手喝采をおくったのであろう」とあって、その風景を想像すると楽しいです。

 現在、もっとも新しい『観世』平成18年2月号では、吉原の大黒屋庄六が鷺伝右衛門(狂言方鷺流分家)の弟子となって、厚板・大口・熨斗目など豪華な装束を誂え、狂言尽しの会を盛大に催したところ、幕府から咎められ所持の能道具没収・居所追放の処分を受けた話など、江戸吉原での能や狂言の流行が紹介されています。

 これからも楽しい連載が続いていくといいですね。

TBPeople 能・狂言

Pocket
LINEで送る

柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

オススメの記事

6件のフィードバック

  1. 木白山 より:

    「月刊観世」なるものがあるとは初めて知りました。
    吉野太夫の話興味深いです!!
    昔は女性も能を舞っていたし、町人の間でもメジャーだったのですね。
    絶世の美女が舞うときはやっぱりお面なし!でしょう!
    というか、ナシで!!
    絶世の美女が舞う巴(とか色々)….。。。うーんいいかも(妄想中)
    すいません。
    昔の14歳って現在の20歳くらいなのかな-と思うのですが、どうなんでしょうね。
    でも、現在もアイドル低年齢化が進んでいるんですもの。
    昔の方が性にはおおらかですし、変じゃないのかなーと思ったり何だりいたします;
    へんてこコメントで申し訳ありません;

  2. 雑誌『観世』、あるんです。ほかに能や狂言関連の専門誌としては
    『能楽タイムズ』『宝生』(月刊)、『DEN』(季刊)などがあります。
    あと能楽学会発行の『能と狂言』という雑誌もありますが、学会誌です。
    私が愛用するAmazonで買えるのは『能と狂言』だけなんですが(笑)
    吉野太夫の話、面白いと思って下さる同志がいて嬉しいです!(笑)
    五流の、いわゆる"玄人"には男性しかいなかったみたいなんですが、
    市井で演じられている能は他の芸能と同じで、いろいろな
    人がいたみたいです。
    「江戸時代能楽繁昌記」には歌舞伎・人形・相撲などと並べて
    能が庶民の娯楽だったらしい資料の紹介などもありますよ。
    やっぱり美女が舞うときは面なしですよね~。
    女武者の『巴』を美女が演じるのも良いんですけれど、
    白拍子とかと同じで男装した美女が豪快な舞を舞う、っても
    たまらないような…(妄想中)
    昔の人は早熟ですから、年齢を1.5倍ぐらいで考えても
    良いのかな?と思う時もあります…。
    吉野太夫は単に容貌が優れていただけではなくて、
    舞・茶・香・碁などの諸芸にも通じ、
    機知に富んだ話上手だったそうで、
    総合的な魅力があったのだとは思うんですよね~。
    ともかく、その辺のアイドル以上の存在だったのだろうとは思います。
    あと、江戸時代の話を読んでいると、相撲などでは
    毎回、客席で喧嘩が起こるものだったらしいですから(笑)
    見る側もだいぶ違っていたのだとは思います。

  3. 木白山 より:

    げげっ(失礼)そんなに能雑誌が発行されているとは!!
    驚きです~。
    今度大きな本屋さんで探してみようかしら。
    <男装した美女が豪快な舞を舞う、ってもたまらないような…
    ゆげひさん!それ最高じゃないですかぁ!!!
    それたまらんとですよっ!!(更に深く妄想中)
    これ以上この興奮をコメントとして書くと、変態チックになるので止めます(ーー;;;
    そうですね。
    吉野太夫は、今のアイドルと違って、見かけの美しさ以上に内面も磨かれているはずだから、より深い輝きがあったんだろうなぁ、、、、
    それにしても、現代で復活すればいいのに、、、美女能(ヘンテコな名前)。
    美女能ならずとも、私は女性のシテをまだ見た事ないのです。
    この間、宝生流婦人能という会が開かれていたのですが、都合があわず、行けませんでした。残念!!

  4. まず、おことわりを。
    杉浦日向子さんに関しての部分だけ、
    勝手に移動させていただきました。すみません~。
    …というころでお返事です(^^)
    『観世』に関しては、常備店リストがありますので参考に。
    http://www.hinoki-shoten.co.jp/kanze/kanze_shop.html
    >>この興奮をコメントとして書くと、変態チックになるので止めます(ーー;;;
    なんかその気持ち分かります。私もかなり自主規制してます(笑)
    美女能!宮本助教授は「遊女能」という言葉を使ってはりましたよ。
    遊女能に限らず、昔の能ってもっと気軽な娯楽だったんだなぁと
    思います。今の緊張感漂う能も大好きなんですけれど、
    狂言に時々ある酒宴の舞のように、
    お酒を飲んだ勢いで謡ったり舞ったり、
    というのも楽しいだろうなぁと思います。
    「ちと地を付けて下されい」と言ったら
    謡ってくれる人がいるといいなぁ、
    なんて思うんですけれど(笑)
    女性の能楽師の方は増えて来ましたね。
    囃子方でも何人かいますし。
    来月、お知り合いの女性能楽師が
    『石橋』を披かれるので見に行く予定です。

  5. 琵琶(嶋原応援してます) より:

    柏木ゆげひ様
    こったいの会 会員の 
    琵琶と申します。
    ご挨拶が遅れ、申し訳ありません。
    「嶋原太夫と輪違屋」の掲示板に
    こちらの記事のお話についてご紹介しましたところ
    ご覧になってくださったようで、コメントをいただき
    嬉しいような申し訳ないような気持ちです・・
    嶋原太夫の存在を知り、太夫に関する
    情報や記事を集めまくっていた頃から、
    吉野太夫は私の憧れです・・。
    現在は嶋原に関わる人たち・・
    角屋や輪違屋のご主人はじめ
    元・高砂太夫の櫛田一栄さん、現役では
    花扇太夫や司太夫が、嶋原の、太夫の
    良さを広めたい! と本業のかたわら
    日々奔走なさってます。
    嶋原や太夫に対する認知度も
    少しずつではあるようですが、
    高まりつつあると思います。
    こうした現代の嶋原とともに、
    伝説の太夫・吉野太夫の存在は
    絶えることなく語り伝えられる
    と思います。
    私個人は、これからの嶋原が
    六条三筋町時代 のような
    文化的リーダー の一角を
    担う存在になってくれたら
    なぁ、と。そして出てこい、
    21世紀の吉野太夫!(笑)
    願望ですけどね・・

  6. ★琵琶さん
    コメントありがとうございます。
    京都は割と好きなんですけれど、嶋原のことは
    最近まであまり知らずにいました。
    桂米朝さんの花町関連の噺のマクラや
    『米朝ばなし~上方落語地図』を読んで知ったぐらいで。
    実は、町としては祇園より格上なんですよね。
    吉野太夫の存在は、まさにこの『観世』の連載で
    知ったぐらいで。武士たちが刃傷沙汰を起こし、
    幕府が禁令を出すほどの女性。よほど魅力的だったのでしょうね。
    どうか宜しくお願いいたします。