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直接は能や狂言とは関係ないのですが、現在の能楽の先祖にあたる「猿楽」「散楽」に関連するものとして、平安文学に出てくると「さるがうこと」という言葉があります。 平安時代の散楽は滑稽なことがメインだったらしく、歴史書の『日本三代実録』元慶4年(880)7月29日の記事には 右近衛の内蔵富継・長尾米継、伎として散楽を善くし、人をして大いに咲わしめき とあります。「咲ふ」は「笑う」の意味で、直接的には狂言をイメージしますね。 これが転じて、人を笑わせるような冗談を「さるがうこと」と呼ぶようになったみたいです。また、「さるがう」と動詞にして、冗談をいうことを表すのもあります。 例えば『枕草子』。清少納言は退屈さを紛らわしてくれるものとして、 男などのうちさるがひ、物よく言ふが来るを、物忌みなれど入れつかし を挙げています。「さるがひ」は「さるがう」を更に名詞化した言葉で、清少納言にとってはよく冗談を飛ばす話が上手な男は、物忌みであろうと迎え入れて相手になって欲しいものなんだそうです。分かる気もします。 『枕草子』を読んでると、清少納言が仕えた中宮定子の、父親である関白藤原道隆はよく冗談を飛ばす人だったみたいですね。例えばある日、中宮の妹で、皇太子妃の原子が中宮を尋ねたときに、その姿を清少納言が覗いているのに気付いた道隆は あな恥づかし。彼は古き得意ぞ。いとにくさげなる娘ども持ちたりともこそ見侍れ 「恥ずかしいな。彼女は古い馴染みなんだが、ブサイクな娘を持ってるなぁと思ってるよ」と冗談を飛ばしています。「彼」は男女関係無く使われる用法です。清少納言が「いとしたり顔」と書いた通り、本当は娘たちを自慢したくてたまらない道隆の顔が浮かぶかのようです。 道隆の父は、私が平安貴族で最も好きな人物である摂政・藤原兼家ですが、兼家の妻が書いた『蜻蛉日記』にも、兼家が「猿楽事」を言うと書かれてます。 だから冗談を飛ばすのは遺伝かな?と想像したりもします(笑) 岡野玲子『陰陽師』(5)で登場する兼家も、冗談を飛ばしまくりですしね。 (2005/03/07) |
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