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能や狂言は古典芸能です。古典ですから、いろいろな約束ごと・習慣などがあります。そういうことを知っているということは、能や狂言を深く理解するうえで大切なことは間違いないと思います。 しかし、まずそれら約束ごとを知らねば、能や狂言を楽しむことはできないのでしょうか? いや、そんなことはない、と私は思います。能や狂言が600年の昔から面々と続き、また今も行き続けているのは、古典の伝統と格式ゆえではなくて、能や狂言が今も「生きている」からに違いありません。 逆に、約束ごとを知らねば正しい鑑賞ができない、という考え方が、能や狂言を「凄いものだとは思うけど、分からない」と敬して遠ざける雰囲気の原因になっているように感じてなりません。
えーと、カンフー映画はほとんど見たことないので、全然知りません(汗) カンフー映画好きな人には申し訳在りませんm( )m でも、能や狂言に実にうまく当てはまるのではないかな、とよく思ってます。 どんなに能や狂言について勉強しても、本物の舞台を観たことがなければ全然実感が涌きません。とにかく、一度観てみて感じて、それから考えれば良いのです。そして、分からなくてもいい、と思います。分からないなりにも、何か感じることがあるはずです。 狂言の言葉の洒脱さ、能の装束の美しさ、囃子の響きの力強さ。それを次に観るまでに少しでも理解できたら、と思うところに向上心というものがある気がします。
といっても、さすがに全く頭が真っ白なままで見るのも大変です(汗) せめてあらすじぐらいは頭に入れてみると、鑑賞の助けになります。チラシやパンフレットに粗筋が載っている場合が多いので、開演までに目を通しておけば良いでしょう。 また、能の場合、能の詞章を確認しておくと、より深みはでます。能の言葉は室町時代頃の書き言葉で、難しい仏教などの用語も使われていますし、故事の類もたくさん引用されています。しかし、やはり言葉である以上は意味があり、直接の演技には結びつかなくとも能の進行の上で意味があるのです。 確認といっても、全てを暗記する必要はありません。一通り読んで、気に入ったフレーズが1つでもあったら儲けもの。そのフレーズがどのように謡われ、囃され、演じられるのか、それだけでも凄い楽しみです。また学校の古典の授業のように意味などを全て調べ上げる必要はないと思います。分からなくとも分からないなりに「そういうフレーズがある」とでも思っておけば良いのです。舞台を観れば、分からないなりの雰囲気が分かるはずです。 何度もいうように、能はガチガチに「理解」しなければならないものではないはずです。ただ理解しようという欲というか、好奇心を持つことは大切だと思います。一度観て「分からへんわー」で終えてしまうのではなく、どうしてああ演じるのかなーと思うことに次へのステップがあると思います。 ちなみに能の詞章は基本的には各流派の稽古用の謡本に載っていますが、1冊2000円ほど(観世流の場合)します。それよりも小学館・新編日本古典文学全集の『謡曲集』に現代語訳付きのものがありますので、図書館で閲覧するのが一番現実的でしょうか。インターネットでも詞章が掲載しているサイトもあります。 ところで、能の本番中に謡本を開いてずっと目で追ってる人がいますけど(特に謡の稽古をしている人に多い?)、せっかくの舞台なんですから舞台を観るようにしないともったいないですよね(^^;) だからこそ、「事前に」確認するようにしたいものです。 (2004/04/15) |
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