大津皇子、浄大弐位を授かる


 天武14年正月、それまで使われていた冠位が廃止され、新しく位階が制定されました。

 更に爵位の号を改む。仍りて階級を増し加ふ。明位二階、浄位四階、階ごとに大・広有り、併せて十二階なり。これは諸王より已上の位なり。……是の日に、草壁皇子尊に浄広壱位大津皇子に浄大弐位、高市皇子に浄広弐、河嶋皇子・忍壁皇子に浄大参位を授く。此れより以下の諸王・諸臣等に爵位を増し加ふること各々差有り。
(『日本書紀』天武紀、天武14年正月21日条)
明大壱
明広壱
明大弐
明広弐
 
浄大壱
浄広壱
浄大弐
浄広弐
浄大参
浄広参
浄大肆
浄広肆

草壁
大津
高市
河嶋・忍壁




 「明位二階、浄位四階……」という書きかたでは今ひとつ分かり難いですが、何冊かの参考書によると、この時に制定された諸王以上(つまり皇族一般)の位階の序列は右の表のようになるみたいです。

 上の記事には、吉野の盟約のときに集った6人の皇子のうち、芝基皇子を除いた5皇子がそれぞれ授けられた位階が書いてあります。諸王はともかく、天皇の子である皇子・皇女に位階が与えられたのは初めてのことだといいます。

 これも草壁皇子やほかの皇子たちの序列をはっきりとさせるための措置なのでしょう。少なくとも表を見る限り、草壁が頂点にあって、次位に大津皇子。そして高市皇子がいます。そのあとに河嶋皇子・忍壁皇子が相並んで、最期に芝基以下の諸皇子・諸王が並ぶという図が見えてくるわけなのです。

(written on 2001/12/22)


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