命婦さまという御猫


 『枕草子』は平安時代後期の中宮藤原定子に仕えた女房の1人・清少納言が書いた随筆……と書くと、なんだか厳めしい感じもしますが、実際のところ、清少納言が「これいい!」とか「あれは嫌」とか感じたものを書き集めたエッセイ集です。

 この『枕草子』が残っているために私は、清少納言こそ平安時代一、強烈な自己主張を後世に残した人だと思っていますが、皆さんはどう思いますか? 自己主張が強いので、人によって好悪のわかれる人ではあると思いますが、私はわりとこのエッセイ『枕草子』が好きです。

 そんな『枕草子』ですが、猫が登場する段が2つあります。そのうちの1つが「上にさぶらふ御猫は」から始まる章段です。

 上にさぶらふ御猫は、冠にて命婦のおもととて、いみじうをかしければ、かしづかせ給ふが、端に出でて臥したるに、乳母の馬の命婦、「あな、まさなや。入り給へ」と呼ぶに、日の射し入りたる眠りて居たるを、嚇すとて、「翁丸、いづら。命婦のおもと食え」といふに、誠かとて、痴者は走りかかたれば、怯え惑ひて御簾の内に入りぬ。
(『枕草子』第7段)

 この場合の「上」というのは天皇のこと。当時は一条天皇です。一条天皇は無類の猫好きだったようで、この話に登場する「命婦のおもと」と呼ばれた猫が子を産んだ時の記録が、当時の貴族である藤原実資の日記『小右記』にあります。

 内裏の御猫、子を生む。女院・左大臣・右大臣の産養ひの事有り。猫の乳母、馬の命婦なり。時の人これを咲ふ云々。奇怪の事なり。未だ禽獣に人乳を用うこと聞かざるなり。嗚呼。
(『小右記』長保元年9月19日条)

 これによると人間と同じように産養いが行われ、乳母(この場合は純粋に世話役なんでしょうけれど)が付けられたことが分かります。「産養い」とは、赤子の将来の多幸を祈念するために誕生の3・5・7・9日目に催される祝宴ですが、それが東三条院詮子(=一条天皇の母)・左大臣藤原道長・右大臣藤原顕光といった最上級の人物によって執り行なわれたのでした。小野宮流の有職故実の大家であった実資はこの異常ぶりを歎いています。

 この乳母を付けられた猫はさらに「冠にて」、つまり五位の位を与えられていました。それは内裏の殿上の間に登れるのは五位以上の貴族に限られていたからです。「命婦のおもと」と呼ばれていますけど「命婦」とは五位以上の女性のことですから、ここからも猫が位をもらってたことが分かります。しかも、メスのようです。もしかすると泣き声に連想して付けられた名前かもしれませんけれどね。(「みゃー」って泣き声と、「命婦」って音似てません?(^^;))

 その「命婦殿」という猫を一条天皇は「いみじうをかし」とても可愛がっていたのですが、ある日、部屋の端っこに出て寝ていたのを乳母の馬の命婦が見て、「お行儀が悪い」と注意したものの動かないので、少し脅かそうとして、犬の翁丸をけしかけたところ、怯えて逃げ去ってしまったのでした。

 朝餉の御前に、上おはしますに、御覧じていみじう驚かせ給ふ。猫を御ふところに入れさせ給ひて、男ども召せば、蔵人忠隆、なりたか、参りたれば、「この翁丸、うち調じて犬島へ遣わせ、ただ今」と仰せらるれば、集まり狩り騒ぐ。馬の命婦をも苛みて「乳母替へてん。いと後ろめたし」と仰せらるれば、御前にも出でず。
(『枕草子』第7段)

 しかし、その様子を朝餉の御前(食事の間)にいて偶然見た一条天皇は激怒。「命婦殿」を懐に抱きながら、蔵人(天皇の秘書官)を召して、「翁丸を犬島へやってしまえ。今すぐ」と命令するのでした。「犬島」とは淀川の中洲にあったと考えられている犬の流刑地でした。また翁丸をけしけけた馬の命婦についても「乳母を替える。安心できない」と仰ったので、馬の命婦は御前に出ず引きこもってしまったのでした。

 一条天皇の猫狂いの様子が分かる一段です。この続きもあるのですが、主に犬の翁丸のことが書かれているので割愛します(笑)

 それにしてもこういった上流階級の人の愛玩動物によくあることですが、「五位の猫」というのはヘタな人間より大事にされていますね(笑) 御所殿上を許される五位になるために、下級の貴族たちはしのぎを削っていたというのに(^^;) 実際に噛まれたわけではないようですが、翁丸は流罪、馬の命婦は御役御免なわけですし。まあ、「誠かとて、痴者は走りかかたれば」とあるので、翁丸に同情的な清少納言の目から見ても、ふざけているようには見えなかったのでしょうけれど。ましてや命婦殿ラブな一条天皇の目には…。

 五位の動物といえば、ずっと後の話になりますが、江戸幕府の八代将軍徳川吉宗が象を輸入したとき、天皇が御所でご覧になるためにその象に五位を与えたという話があります。そうそう動物に五位を与えるということがあったとも思いませんが、御所に入れるにあたって、動物にも五位を与えるという慣例ができていたようですね。

 ところで『枕草子』にはもう1つ、猫について書かれている箇所があります。

 猫は、うへの限り黒くて、腹いと白き。
(『枕草子』第50段)

 たったこれだけしか書いてない段です。この場合の「うへ」は背中のことで、「限り」は背中のある限り、つまり背中全体のことを表します。現代語訳すると「猫は背中が黒くて、お腹が白いの」って感じでしょうか。有名な第1段「春は曙」と同じように、そこで言い切ってます。これを学校の古典の授業などでは「春は曙(が良い)」と言葉を足して現代語訳しますが、橋本治『桃尻語訳枕草子』にあるように、下手に言葉を足して訳さないほうが原文のニュアンスが伝わって面白いかな、と思っています。

(written on 2002/10/21)


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