大津皇子と石川郎女と草壁皇子


 『万葉集』第2巻には、大津皇子と石川郎女という女性、そして草壁皇子がお互いに関係しあっていると思われる和歌4首が並んで載せられています。

 大津皇子の、石川郎女に贈りし御歌一首。
あしひきの山のしづくに妹待つとわれ立ち濡れぬ山のしづくに

 石川郎女の和し奉りし歌一首。
我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしづくにならましものを

 大津皇子の窃かに石川女郎を婚きし時に、津守連通その事を占ひ露はせるに、皇子の御作りたまひし歌。
大船の津守の占に告らむとはまさしく知りて我が二人寝し

 日並皇子尊の、石川女郎に贈り賜ひし御歌一首。女郎、字を大名児と曰ふ。
大名児を彼方野辺に刈る草の束の間もわれ忘れめや


 この4首の歌から、郎女に大津と草壁(=日並皇子尊)の2人が求愛したものの郎女は大津にのみ返事を返し草壁は袖にされた、と言われています。その原因に、草壁は和歌が下手で魅力がなかったからだとか、よく言われています。

 歴史小説家の永井路子さんは、短編『裸足の皇女』の中で、草壁の和歌について大津に「へたな歌だよ、ただ、束の間も忘れないってしか、言ってないんだから」と言わせてます。実際私も「彼方野辺に刈る草の」と挿入的な語句で飾ってるだけで、そう凝った和歌だとは思えません。和歌としての出来なら、大津の「あしひきの…」はよっぽど上といえると思います。

 しかし、私としては、この草壁の和歌、純情っぽそうで結構好きです(^_^) とゆーか私は元々、技巧に凝った和歌よりも、気持ちを素直に詠んだ和歌が好きなのです。(単に技巧に凝った和歌は私にとって高等で意味不明だからでしょうけど(^^;)

 ところで、一番上にあげた4首のうちの3首目に関しては面白い説があります。それは吉永登さんが『大津皇子とその政治的背景』で述べている説です。吉永さんは「大津皇子の窃かに石川女郎を婚きし時に、津守連通」が「その事を占ひ露は」したことについて

 一体いつの世に個人の私事など天文という自然現象にあわられることがあるであろうか。人は簡単に素朴だった上代ゆえと片付けようとも、わたしは千年前を今日とそれほど相違するものとも思っていないので、何とも納得のしようがないのである。

といいます。確かに私も同感です。今まではなんとなしに納得してたものの、改めて考えてみると疑問に思って当然と言えることです。吉永氏は自然現象に現れ出でないはずの「私事」がどうして「占ひ露はせ」たのかを、下のように結論付けています。

 この勢力(皇后・皇太子の勢力)によって発見せられ、津守通を動かして占いの形で発表せられたということも考えられないでもない。また一面、津守通が皇后・皇太子の意を体してか、もしくは、その意を迎えて独自の力で察知して、これを占いの形で発表したと考えることもできるのではなかろうか。

 大津は草壁や鵜野讃良皇后の息のかかった津守通ほかによって監視されていたのではないか、というのが吉永さんの説の概要なのです。

 氏はさらに説を進めて、『大鏡』の安倍晴明の話などから「陰陽師とは式神という間者を使って情報収集をし、異変あれば密奏するという秘密警察的な存在であったのでは」と書かれていますが、これはさすがに飛躍し過ぎではないだろうか、と私は思います。小説のネタにするならカッコいいんですけれどね(^^; 最近、夢枕獏の小説『陰陽師』の人気のせいで、猫も杓子もといった感じで、陰陽師がゴーストハンティングするマンガや小説が流行っているけれど、そろそろ違うパターンのものが出てきてもいいだろうしさ(笑)

 でも、やっぱり陰陽師=隠密というのは、言いすぎだと思います(苦笑)

(written on 2001/12/22)


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