大津皇子の誕生?


 『日本書紀』には大津皇子誕生の記事はありません。ただし処刑時されたときの「時に年二十四」という記事から逆算して、大津は天智2年(663)生まれだとされてます。当時、父である大海人皇子たちは筑紫国娜大津(今の福岡市)で百済救援軍の陣にいましたので、大津もその土地の名を付けられたのかもしれません。

 万葉のヒーロー大津も、意外と生まれたときのことはあまり分かっていません。彼に関する記事は、実際には死亡時のものがほとんどです。

 私なんかはずっと、大津の母方の祖父である天智天皇が都を置いた琵琶湖ほとりの大津(今の滋賀県大津市)に関係してるのかな、とばかり思ったりしていましたが、その辺りはよく分かりません。でも、考えてみれば「大津」という言葉は、「大きな津(=みなと)」のことでしょうから、そのような場所はどこでも「大津」なのです。そう考えると「大津」の名をもつ地名はたくさんあったでしょうから、限定するのは難しいことかもしれません。

 この大津の生まれた年、日本と百済の連合軍は、新羅と唐の連合軍に大敗しました。いわゆる「白村江の戦い」です。中大兄皇子は大和へ逃げ帰り、さらに都を大津へ遷します。九州各国には防人を配置し、水城を築いて防衛に努めました。

(written on 2001/12/22)


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