天智天皇の護持僧・定恵

病臥する阿閉皇女
『桑実寺縁起』より病臥する阿閉皇女


 『桑実寺縁起』は江州桑実寺の建立の由来と、本尊である薬師如来の霊験を描いた絵巻です。

【概要】

 昔、海上に生えた桑の巨木に3粒の実がなっていました。その1つは落ちて桑実山となり、ほかの2つはそれぞれ日光菩薩・月光菩薩の垂迹(衆生を救うためにとる仮の姿)でした。

 天智天皇の御世に、志賀の都(大津宮。滋賀県)に多くの病が蔓延したことがあった。天智天皇の第四皇女である阿閉皇女(後の元明天皇)もその病に伏せ、廷臣女官たちは悲しみに沈んだ。

 ある夜のこと、皇女が起き上がって言いました。「今夢を見ました。琵琶湖の方から、波の音が聞こえたのです。その音は『妙音観世音。梵音海潮音。勝彼世間恩。是故須常念』というお経のようにも聞こえました。その音のする方を見ようとすると、私の上に瑠璃色の光がさしてきました。その光が七層の灯火のようになったところで、夢から覚めました」と。

 夢の話を聞いた天皇は不思議な思いを抱き、日ごろから護持僧として尊崇している定恵和尚を宮に召して尋ねた。定恵は「予、修多羅の深説につきて此心を案ずるに…」と琵琶湖が弁才天の浄地であること、琵琶湖の湖底に龍宮のあること、その龍宮に生身の薬師如来が安置されていること、皇女の夢想は病気平癒の瑞相であることを説明していった。

 そこで天皇は光のさすところに七光寺を建立し、定恵に命じて琵琶湖に向かって臨時の法会を行わせた。すると、花が風に舞い楽が聞こえ、海底が光り始めたと思うと、生身の薬師如来が姿をあらわした。如来から放たれる光は皇女の病床にも挿し込み、たちまち皇女の病気は平癒した。さらに国中の病人もこの光に照らされて病が治った。天皇皇后を始め、群臣百官らは皆、随喜の涙を流した。

 やがて薬師如来は桑実山へ登った。それを受けて、天武天皇の白鳳6年、桑実山に定恵を導師として、堂舎を建て薬師如来を安置した。

 阿閉皇女が即位し元明天皇となった後、この寺に参詣して瑠璃石に残された薬師如来着地時の足跡を拝んだ。天皇は感動のあまり、「三十余り二つの姿備へたる 昔の人の踏める跡ぞこれ」と和歌を詠んだ。後世、この浦を豊浦と名付けたが、これは天皇の諱・豊国成姫から取ったものである。

(written on 2004/03/16)


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