大津皇子35の質問


●その1● 大津皇子が大好きなアナタのお名前(HN)を教えて下さい。またその由来を教えて下さい。
 この質問、ついつい「大津皇子」を「大伯皇女」と書き換えそうになりました(笑) でも、沙耶さんが「質問内容は変えることのないようお願いします」としっかり注記されているので、果たせず(をひ)
 HNは「柏木ゆげひ」と申します。いくつかの質問ですでに書いてますが、「柏木」も「ゆげひ(靫負)」も衛門の官人のことです。やっぱり武官ってカッコいいですから。でも、藤原行成のこと知ってからは、弁官もカッコイイなと思い始めてる最近(笑)
●その2● 大津皇子に惹かれるようになったきっかけは何ですか?
 やっぱり「我が背子を…」の歌ですね。「古代史が好き」と自覚するずっと以前から好きな和歌でして、この和歌を見るために初めて古典文学全集を手に取ったはず(笑) そのころは漠然としたイメージしかなかったですけど、大伯皇女の基本イメージはずーっとここが原点です。…って、書いてるウチにやっぱり「大津」を「大伯」に読み替えてる!!!(汗)
●その3● 大津皇子のどんなところに惹かれましたか?
 えーと、大津皇子には惹かれるどころか少し反感が(笑) 好きなんですけど、惹かれるというのとは違いますね。私は男ですけど、男に「惹かれる」「憧れる」ってのは確かに存在します。けど、大津はそういう対象じゃないなぁ…。まだ草壁皇子の方が。大友皇子も努力家(らしい)のが憧れますね。
 ちなみに大伯皇女のどんなところに惹かれるかというと、全てです。沙耶さんには前も「何で大伯なんですか?」と聞かれましたけど、これは説明できない絶対的な愛です(笑) 大伯が大伯であるからこそ、私は大伯LOVEなのです(爆)
●その4● 大津皇子LOVE歴はどのくらいですか?
 というわけで0年(笑) 興味持って調べた以降の年数ならそろそろ4年でしょうか。
 ちなみに大伯皇女LOVE歴は、漠然としてた時期を含むと10年以上になるかと。これを愛だと自覚してからなら7年ですな(をい)
●その5● 大津皇子縁の場所へ行ったことはありますか?または行きたい場所はありますか?
 二上山にはぜひ行ってみたいんですが、行ったことがないです。
●その6● 二上山には登りましたか?
 まだっす。大伯皇女ファン的にあの山は「大津だなー」と思いながら眺めたことはありますが(笑)
●その7● 二上山を何と呼んでいますか?(フタカミヤマ、ニジョウザンなど)
 「ふたかみやま」ですな。だって大伯皇女がそう詠んでるんですから、それ以外の読み方は自動的に却下されます(笑)
●その8● 大津皇子が眠るのは本当に二上山雄岳だと思いますか?
 たぶん(笑) だって大伯皇女が…(以下略)
●その9● おじいちゃん(天智天皇)とパパ(天武天皇)、どちらの方が好きですか?
 どっちも好きなので、保留。
●その10● 大津皇子はパパ(天武天皇)とママ(大田皇女)のどちらに似ていたと思いますか?
 えーと、おじいちゃん(笑) だからママってことかな? ちなみに、大伯皇女はママ似です、きっと。感じ的に(笑)
●その11● 大田皇女が生きていれば、大津皇子の地位はどのようなものになっていたと思いますか?
 大田皇女が生きていればきっと大田が皇后だったんでしょうけれど、ただ皇后の子が必ず皇太子というわけでもないですし、年上の草壁皇子がやっぱ皇太子かなと。もっとも随分違う境遇だとは思いますけどね。草壁即位後の皇太弟には成り得たかも。
 ちなみに、大伯皇女は草壁には渡しません!!!!! 草壁はかなり好きですけど、これとそれとは話が違います(爆>碧穂さん) 大田皇女が生きてたら、大伯は斎王にならなかったのかなぁ。いやいや、大伯だからこそ伊勢に仕えさせる意味があったのだと思いますよ。大伯の斎王卜定に鵜野讃良皇女の遠ざけようとする思惑が全くなかったとは言いませんけど、それだけじゃないはずです。律令的国家祭祀の創建という大役ですから。
●その12● 大田皇女の死後、大津皇子を養育したのは誰だったと思いますか?
 おじいちゃんの天智天皇。自力で調べておじいちゃんだと推論しえた時は歓喜でした☆ でも、それが有力な説だと知った時は、「先人ってやっぱり賢いな」と思い知らされました(笑)
●その13● 大津皇子が伊勢の大伯皇女に会いに行った目的は何だったと思いますか?
 蜂起のために、皇室神・国家神の加護、しいては斎王の後押しを願うため。もちろん、お姉さん恋しさも多分にあったでしょうけど、メインの目的は人間ドラマなんじゃなくて、もっと政治的な話だと思います。
●その14● 大津皇子に謀反の意はあったと思いますか?
 ありまくり(笑) まあ、そうじゃないと、上の理屈も組み立てられないんですけどね(笑) ただぼけーっとしてて滅びたんだったら、正直、そんなにカッコよくないですよ、大津皇子。
●その15● 大津皇子の骨相を占った新羅僧行心は味方だったと思いますか?
 断罪のされ方もあまりに不自然だし、やっぱり新羅の工作員みたいな存在だったんでしょうかねー。
●その16● 川島皇子の密告についてどう思いますか?
 河嶋皇子は評判悪いですけど、私は板挟みで苦しんだ人だと思ってます。根拠はあまりないんですが、初めて史料読んだときに苦しんだんだろうなーと「感じて」しまったので(汗) イメージだけといわれればそれまでです。『天上の虹』のイメージに近いですけど、泊瀬部皇女とのことはあんまし考えてなかったなー。出世のためにやったんじゃないと信じてますが、出世もできずに亡くなります。社会信用もなくして、悲劇の皇子の1人だと思ってます。
●その17● 讃良皇女(持統天皇)は大津皇子を憎んでいたと思いますか?
 心ならずも憎んでしまったかもしれません。でも決して憎みたかったわけじゃないと思います。同母の姉の遺した子ですしね。
●その18● 何かと比較される異母兄・草壁皇子をどう思いますか?
 死後に柿本人麻呂や舎人たちが捧げた挽歌を見るに相当慕われていたのでしょう。慕われるに足る、思いやりの深い人物だったと思います。天皇位に向いてたかどうかは別問題ですが、息子の文武天皇の漢詩のイメージと併せて、マジメで頑張り屋だったのではないかな、と思います。正直、大津皇子より好きなんですけど(笑)
●その19● 大津皇子と繋がりのあった女性の中で誰が一番好きですか?
 当然、大伯皇女。
●その20● 大津皇子が一番愛していたのは誰だと思いますか?
 当然、大伯皇女(笑)
●その21● 大津皇子の死後、帰京した大伯皇女はどのように余生を過ごしたと思いますか?
 夏見廃寺のイメージから、静かに父母弟の菩提を弔って生きたんじゃないでしょうか。…結婚とかしてたらどーしよ(笑) でも可能性ないわけじゃないし(^^;)
●その22● 大津皇子の子とされる粟津王は実在したと思いますか?
 粟津王の子孫ということになってる『豊原氏系図』に関しては、このHPに載せておきながら、正直、全然信じてないですけど(笑) それはその間の血縁関係を信じてないだけで、粟津王自体の存在に関しては保留中です。まあ、大津皇子の妃は山辺皇女ですが、その他に史書に残らない恋人はいただろうし、子どもがいてもおかしくはないですけどね。
●その23● 『万葉集』の中で一番好きな大津皇子の歌はどれですか?
 「わが背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我が立ち濡れし」…って、それは大伯皇女の和歌か(汗)
 大津皇子の和歌なら「大船の津守が占に告らむとはまさしく知りて我が二人寝し」でしょうか。堂々と開き直る大津の姿が目に浮ぶようです。
●その24● 大津皇子以外の「悲劇の皇子」といったら、誰を思い浮かべますか?
 たくさん(笑) 山背大兄王・古人大兄皇子・有間皇子・大友皇子・草壁皇子・河嶋皇子・長屋王・安積親王・早良親王etc... また思い出したら追加します(笑) 皇族同士の争いも多かった時代ですから、悲劇の皇子も豊富です(笑)
●その25● 大津皇子以外にも好きな皇子・皇女(飛鳥、奈良時代限定)はいますか?
 大友皇子・河嶋皇子・高市皇子・忍壁皇子あたりは平等に好きですが、これ、という皇子はやっぱり大伯皇女以外になし。
●その26● 大津皇子を取り扱った小説・漫画等で好きな作品はありますか?
 大津皇子に関しては里中満智子『天上の虹』でしょうか。長岡良子『眉月の誓』もわりと良かったですね。どっちも主人公が大津じゃないですが、大津主人公のマンガって知らないんです(汗)
 大伯皇女に関しては、萩尾望都『斎王夢語』の、「勝てる?」「うまくやれば、勝てないこともない」「では、勝って」「今、おまえは言った。草壁を殺せと」「(ハッとして)言ってない(大津から離れる)」「姉さん?」「戦って勝つとは屍を山為すことだ。皇后も殺すのだな。まだいる。草壁の妻、阿閉も殺すのだな。まだいる。高市皇子もライバルだ。まだいるぞ」という箇所が好きですね。結局は大津のことが一番愛しいと思うし。
●その27● OSKが上演した「大津皇子〜天翔る白日〜」を観たことはありますか?
 いやー見たことないです。新作能『大伯』とか書いてみようかしらん(笑) シテ(主役)とツレ(準主役)が大伯皇女・大津皇子で。最初の次第の謡は「さ夜更く夜は露めきて。さ夜更く夜は露めきて。我が背を大和へ。遣るらん」(笑) うわ、節付けて謡えるよ(爆) 世阿弥の『井筒』を参考にして、大伯が大津の装束を着て舞うってのも艶っぽくて良いかも知れない(笑)
 古代ものといえば『額田王』という新作能はあるんですよね。見たことないですけど、額田王と大海人が相聞し、中大兄が白村江の戦いを再現して舞働を舞うとか聞いてます。この新作能のために作られたという、領巾付きの装束がステキ(笑)
●その28● ドラマ化されるとしたら大津皇子役を演じて欲しい俳優さんはいますか?
 ドラマ嫌いで、俳優に疎いのでなんとも言えません(^^;)
●その29● 薬師寺に安置されている大津皇子坐像を見たことはありますか?
 写真でならあります。今一つイメージと合わないですけどね。あー『薬師寺縁起』読まなきゃ。
●その30● もしもタイムスリップすることが出来たら大津皇子に会いに行きたいですか?
 会えるものなら会いたいですね。大津皇子に限った話じゃないですが。というか大伯皇女に会いたひ。
●その31● 大津皇子グッズを何でもいいから何かお持ちですか?
 残念ながら。大伯皇女グッズも持ってないのに(笑)
●その32● どうしてこんなにも大津皇子は人気(昔も今も)があるのだと思いますか?
 我が大伯皇女が哀切極まる和歌を残したから(笑)
●その33● アナタにとって大津皇子はどんな存在ですか?
 愛する大伯皇女の弟。(言い切るな)
●その34● アナタの大津皇子像を思う存分語って下さい。
 私の少し引いた見方はやっかみ混じりで、さらに判官贔屓な見方にも反感感じる性質ですが、それでも、カッコいいことは認めましょう(笑) 敵方の『日本書紀』編纂者にもあれだけの賛辞を書かせた人物です。才色兼備で、コイツならやれる、と周囲に思わせるだけのものを持った人だったのだと思います。
●その35● 大津皇子好きとして、最後に一言どうぞ!
 大津に限らず、この時代には魅力的な人物が多いですね。「国家」という形を日本人が初めて意識して、それを形作ろうとする時代だからでしょうか。興味を引くことが多くて私は嬉しいです(笑)


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