9月5日


 飯門店ツアーのために6時起きの予定が起きたら6時半。でも、それを見越して30分早く時間設定したので、問題なし(笑) 7時までには支度を終えて、YMCAホテルをチェックアウト。板門店ツアーはソウルに来てから、電話で予約したので、その分の電話代を請求されるかと思いきや、請求されなかった。?

 鍾閣駅から地下鉄に乗って、一度、ソウル駅で荷物をロッカーに預ける。空港へはソウル駅前からの直行バスに乗るからです。そして集合場所になっている新羅免税店最寄りの東大入口駅に移動するつもりが、私が寝ぼけてて一駅手前で降りてしまう(汗) 次の電車を待って、新羅免税店前に着いたのが8時15分ぐらいでした。

国連軍ゲスト証 9時にツアーのバス出発。飯門店は、国連軍のゲスト扱いで外国人だけが行ける場所なんだそうで、韓国人は厳しい審査を受けなきゃ入れないらしい。まさに外国人観光客ならではのツアーです。例外は非武装地域内にある「自由の村」の住民で、軍事分界線が引かれる前からそこに住んでいた人々。土地での農業以外にも基地の使用料やら税の免除やらの優遇措置があるらしいけど、先祖伝来の土地でなかったら、そんな物騒なところに住みたいわけはないと思う。

 10時には民間人出入統制線の中に入る。ここからは軍事的な理由によって外の風景の撮影は禁止。ここで銃を持ったアメリカ人の軍人がバスに乗ってきて、パスポートチェックが行われた。それから15分後、さらにもう一度のパスポートチェック。国連軍(実際にはアメリカ軍だけど)が用意したバスに乗り換えさせられる。「JSA」だとか、「U.S.Army for official use only」とか書いてあって、警戒地域っぽさが演出されていました(演出じゃないか)

 10時半、アメリカ軍のCamp Bonifasの施設内で、誓約書にサインを求められる。「北朝鮮軍及び人民解放軍の兵士と交渉をしない」「戦闘となった場合は、速やかに指示に従うこと」「万が一、攻撃を受けた場合、身の安全は保証できない」とかが内容。まあ、一応戦争中の国境地域だから仕方がないけど、つまりは何があっても文句は言うなって内容です。でもサインしなきゃ中に入れてくれないのだから仕方がない。誓約書と交換にゲスト証(右)を受け取って、再びバスに乗る。バスから見えるゴルフ場のすぐ隣が地雷原だと言われたりする。

 11時。道路の両脇に北朝鮮軍の侵入を防ぐためのバリケードや鉄柵、地雷原がたくさん見える。

 11時15分、非武装地域、いわゆるJSAに入る。ここからは南韓国・北朝鮮、お互いに最小限の武装しか持ち入らないことになっている。だから、今まで見えた地雷原なども突然なくなる。天気が悪く、この辺りで雨がざざ降りに。傘みたいな大きなものは持ち入れないことになっているので、かなり心配(汗)

板門店 11時30分、いわゆる飯門店へ。雨は一応、降り止んで良かった。右の写真に写っているのはバスの窓についた雨粒です。手前が韓国側、奥が北朝鮮側で、向こうに見える灰色の建物が北朝鮮の「飯門閣」です。

 地面の色が変わっているところが国境で、そのすぐ向こう側に壁を背に立っているのと、向こうからこっちを向いて立っているのは北朝鮮の兵士です。一方、体の半分を建物に隠して向こう側を向いているのが韓国の兵士。テコンドーを取り入れたカマエだそうで、めちゃくちゃ力が入っているのが分かりました。

 非武装地域を見学できたのは、実質30分ほど。でも、北朝鮮側の非武装地域内にある「平和の村」も少し見えたし(住んでいるのは兵士など、関係者とその家族だけだとか)、北朝鮮側の飯門店観光客の姿もちらりと見えました。

 観光客がじゃんじゃん来るぐらいだし、見せるための国境かなーって気も多少しましたが、昔、北朝鮮側から飯門店の観光に来たロシア人が、国境地域を越えて南に亡命しようとしたために戦闘になり、兵士が何人か死んだことがあるらしいです。だから、やはり恐い場所だと思います。まだ生きている戦争地域。

韓国の兵士 思えばソウルって、北朝鮮国境から100kmも離れてないのでは? だから、もし戦闘が再開されたら、すぐミサイルとか飛んで来かねない。そう思うと、日本と韓国って全然違う環境なんだな、と思います。

 右の写真の兵隊さんはサービス要員ですけどね(笑) 観光客と一緒に写真撮ったり、私のカメラにも応えてくれました。まあ、それも仕事なんでしょうけど。しかし、凛々しくてカッコ良いものです。

 12時、非武装地域を出て、アメリカ軍のCamp Bonifas内で昼食。アメリカンなバイキングスタイルです。中の張り紙もほぼ英語。大画面で放送されているのもアメリカの放送で、ちなみにアメフトの試合でした。でも、中には韓国軍の兵士もいます。175cm以上で英語の試験で一定以上の成績を修めたものしか配属されないそうですが。バイキングの中には、キムチもありました。たくさん取って食べる。

 13時、昼食を食べ終わって出発。帰りのバスの中では、付いて来ていた写真屋が飯門店内で撮った写真を販売して回る。ガイドブック付きだったので、ツレも買ってた。しかし、東西冷戦が未だに続いている国と思うと、ちょっと緊張を感じてしまいます。

 14時10分、帰りの道が少し込んでいたので、10分ほど遅れて新羅免税店前に戻ってくる。すぐ地下鉄「東大入口」駅から「ソウル駅」まで移動。途中、喉が渇いたのでポカリスウェットを買ったり(700ウォン)、乗り返したり、トイレに行ったりしてたので、ソウル駅に着いたのは15時過ぎ。

韓国のポカリスウェット 15時半、ロッカーに預けていた荷物を取り出して、リムジンバスへ乗り込む。仁川空港までノンストップ。ちょっとほかのバスに比べると高いけど、行きの時に座ったシートが凄く良かったので、帰りも使うことに。これで財布の中身は380ウォン。日本円で38円。さすがに何も買えない(笑) 我ながら良く使い切ったものです。

 ちなみに帰りの飛行機内で表示された地図では、日本海は「東海」と表示されていました。それぞれ自国中心にみた呼称ですね。

 当たり前のことでしょうけれど、たった5日間では、ソウルの中心部を少し回っただけで終わってしまいました。ソウル市内では宗廟にも行けなかったし、ソウル郊外の町にも行けなかった。

 李氏朝鮮も好きだけど、古代史専攻としては百済・新羅の遺跡にも行ってみたいものです(高句麗は北朝鮮と中国にまたがる地域だから、また別)。もし次に韓国に行ってみることがあったなら、南から入って、旧都・慶州などを巡ってみたいです。特に統一新羅を作り上げた金春秋こと武列王は墳墓も残っているそうだし。彼は王子時代には日本に人質となっていて、帰国後は唐へ留学、即位前から積極的に外国の制度をその目で見て学び、唐と組んで高句麗・百済を滅ぼし(白村江の戦いは旧百済・日本連合軍が、新羅・唐連合軍に大敗した戦い)、さらには唐を追い出したといいます。韓国史上初の統一王である彼が今、私の一番の興味の対象です。


トップ観光記録ソウル>9月5日
「世の中に昔語りのなかりせば―」
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