9月4日


 明日は板門店ツアーに行った後は、急いで空港に行かなきゃ飛行機に間に合わないので、自由行動の最終日となったこの日。

昌徳宮仁政殿 朝から昌徳宮(チャンドックン)へ。李氏朝鮮三代国王である太宗が建てた離宮だったものですが、豊臣秀吉による文禄の役でソウル(当時は漢城)市内の宮殿がほとんど焼かれた後、いち早く再建されたので、それ以降の歴代王の正宮として使用されたといいます。だから前日に行った京福宮よりも正宮として使われた時代は長いんですね。大院君による京福宮再建後は、政治の中心は移りますが、それが逆に幸いしたのか、日本占領下でも破壊されることなく残された幸運な宮殿です。

 10時過ぎに入り口の敦化門に着きましたが、韓国人の小学生らしい集団がいて、わけが分からない。門に書かれている説明板によると、どうやら、昌徳宮では専門のガイドについて回るツアーのみしか、見学ができないらしい。これも世界遺産保護のため。しかたないので、10時半の日本語ツアーまで待つことにしました。

 中で印象に残ったのは、正殿である仁政殿。位階順に文武百官が整列した様子を示すためか、正一品〜従九品までの字が書かれた石が宮殿前に並べられていました。日本の律令制の、正一位〜少初位(従九位に当たる)と同じような名前で、勝手に親近感(笑) 仁政殿の階段の形や文様は、前日に見た京福宮の勤政殿と同じ形式だった。まあ、どっちも宮殿の正殿なんだから、当たり前でしょうけど、昨日の勤政殿が復元工事中で見えなかっただけにちょっと嬉しかったですね。

昌徳宮 両班を真似た邸 ほかに国王が両班(ヤンパン。朝鮮の貴族)のものを真似て作らせた邸なんでものありましたけど、わざわざ自分より身分の低い生活を味わってみようとする辺りは、国王の道楽ですね(汗) まあ、後の人にとっては当時の邸を研究する格好の材料になったわけですけれど。

 最後に行った楽善斎は、日本の梨本宮家から李王家(朝鮮併合後の元韓国皇帝家のこと。一応は皇族と同様の扱いだった)に嫁いだ李方子さんが1989年に亡くなるまで暮らしていた場所だったとか。

 ちなみに帰ってきてから調べたことですが、梨本宮は大正天皇の従兄弟で、その娘である方子姫は初め、昭和天皇の后候補でもあったとか。けれども、子が産めないのでは?という疑いがかかって、結果、李王家に嫁ぐことになったとか。李王家の血なんて絶えてしまえ、ってことなんですかねぇ。でも、実際には子どもさん2人がいるらしいです。でも、第一子は生後8ヶ月で死亡。毒殺説もささやかれているとか。…きなくさいですよねー。ついでに戦後は皇族扱いから一気に在日朝鮮人とされて放り出され、1963年、朴正煕大統領に迎えられて韓国に夫婦で移住するものの、夫の垠さんはまもなく亡くなり、その後は慈善事業などに力を尽くしたそうです。

 ここに来るまで全然、そんな皇族の女性がいたなんてことも知らなかったし、まだまだ知らない歴史の事実ってたくさんあるなぁ、って思いました。

昌徳宮敦化門にて ツアーが終わった後、敦化門で立ってる兵士と同じ格好させてもらって写真撮りました。でも足のジーンズが丸見え(汗)

 仁寺洞キルまで戻って昼食にラーメンを食べました。日本語が通じました(笑)

 毎日歩きつめで、多少疲れたのでホテルに戻って休憩してたら、ホンマに寝てしまいました(汗) 2時半ころになんとか目が醒めて、地下鉄で「独立門」駅へ。日清戦争後に中国清王朝の従属国から独立(そういえば、下関条約の内容に「清は朝鮮王国の独立を認める」とかあった気もする。日本が進出するための口実だったんでしょうけど)した際に、それまであった清朝使節を迎えるための門を壊して、代わりに立てた門なんだそうです。その後は、今度は日本からの独立を象徴する門となったようで、地下鉄駅に三・一独立運動の独立宣言文が掲げられていました。

刑務所歴史館 元獄舎 「独立門」駅の隣に私たちの目的地、刑務所歴史博物館があります。元々は日本が立てた西大門(ソデムン)監獄の跡地で、韓国の民族運動家たちを逮捕・拷問・監禁した施設でした。名前から分かるとおり、元々は南大門や東大門と同じく、漢城四大門の1つ西大門があった場所なんですが、1926年に撤去されたそうです。

 歴史館の中では、逮捕者の人相や身体的特徴を記した記録の展示で、備考欄に「包茎」って書かれたのがあったりしましたが(「そんな50年以上後の日本人に憐れまれるような展示したるなよ〜」って・汗)、笑ってられたのはそこまで。

 民族運動家たちが入れられた独房や、立ったまま入れられる壁棺などが再現されていて、入れるようになってたので入ったらツレに扉を閉められてしまったのですが(汗)、暗く狭く、たまらないものでした。ほかに耳が裂け、目や喉がひどく負傷してる拷問後の写真も展示されていました。

 地下では、実物大の人形で拷問の様子を再現した展示がありました。水による拷問、火による拷問、女性に対する性拷問etc... ご丁寧に前を歩くと音声が流れるのです。言葉は勿論韓国語ですが、その悲痛な声はたまらなかったです。

刑務所歴史館 元死刑場 歴史館の裏手には、元々使われていた赤レンガの獄舎が何棟も残り、ハンセン氏病の患者向けの隔離獄舎までありました。死刑場もまた残ってます。今は何でもない建物ですが、殺された人たちの無念がただよっているかのように感じて、何ともたまらない気持ちになりました。…というか、書いている今でもたまりません。

 辺りは緑の草が生え、自然も多い一目には清々しくもある場所だけに一層過去の陰惨さが思い知らされる場所でした。

明洞大聖堂 地下鉄「独立門」から地下鉄に乗って「乙支路入口」へ。ロッテ百貨店へ行って買い物。ツレがロッテ免税店でお土産のお菓子を買いたい、というから。実際には地下の普通の食料品店で買ったんですけどね。ロッテ百貨店だからか、お菓子はみんなロッテのものばかりでした(笑) 私もキムチを買いました。白菜キムチとキュウリのキムチ。合計10560ウォン。

 ロッテ百貨店から歩いて明洞へ。何度も近くを歩いているわりに全然行ってなかった明洞大聖堂へ。1898年にフランス人神父によって建てられた韓国カトリック教団の本山。塔の外見の美しさにも目を奪われたが、中に入ってその厳粛さに思わず息を飲みました。そのまま列に入って、しばらくの間、無心で神さまに祈りを捧げました。

 私はカトリックではないけれど、同じキリスト教の神。日ごろの不信仰を懺悔しました。信仰は形じゃないけれど、人は弱いからこそ、形が必要なんでしょう。形がないと、だんだん遠ざかってしまう。信仰が弱いから、恥じて教会から遠ざかるのではなく、弱いからこそ教会に行かねば為らない。そんなことを思いました。

 塔から出たところにあった教会用具店で、今日思ったことを忘れぬよう十字架のストラップを買う。カトリックで使うイエスさまが磔になったままの十字架は嫌いなので、シンプルなデザインのものを選びました。2つで6000ウォン。値段が良心的で嬉しい。

 夕食はビビンバ。しかし、やっぱ美味しいです。今回の韓国旅行は料理に外れがなくてホント嬉しいですね。その後、ツレが仁寺洞のYAMAHAで、韓国っぽい陰陽柄のギターのピックを買った後ホテルへ。いつもより帰るのが早いけれど、これは明日に備えてのこと。朝飯用のおにぎりをいつものセブンイレブンで買っておきました。


トップ観光記録ソウル>9月4日
「世の中に昔語りのなかりせば―」
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