二日目


◆二日目(8月17日土曜日)
 朝はホテルでの朝食。パンと果物、あとコーヒーか紅茶かフレッシュジュースを自分で取って食べる形式でした。まあ、パンにしろ果物にしろ、これなら外れなしと安心して、食欲のあるうちにと普段以上に朝食をたくさんとる私(笑) だって、昼とかまともに食べられるか心配ですから。

 今回のロンドン旅行は行き帰りの飛行機とホテル、そして二日目の午前中にバスツアーがある以外は、すべて自由行動、というもので来ました。まあ、最近けっこう流行りの形式だと思いますが。やっぱり自分の意思で観光しないと面白くないですし、興味もあまり持てないですからねー。修学旅行とか今思えば面白いところ行ってるんですが、あんまし印象ないのは自分の意思じゃなかったからかな、と思います。

 その唯一の団体行動であるバスツアーに参加すべく、地下鉄(Underground)に乗ってビクトリア駅(Victoria)へ向かいました。

ロンドンの地下鉄
ロンドンの地下鉄

 ロンドンの地下鉄は通称・チューブ(Tube)と呼ばれていて、1863年、世界で初めに作られた地下鉄だといいます。日本とイギリスの国交開始が1868年ですから、江戸末期や明治時代に来た日本人たちもすでにチューブを使ったのかしらん、と想像したりもします。

 切符の買い方には窓口と自動販売機がありますが、先日、旅行会社の人から「日本語表示がある」と聞いていたタッチパネル式の自販機を使うことにしました。買った切符は、土日使い放題のWeekend Travelcard Zone1・2のもの。チューブはそれぞれの駅がZone1〜6までに分類されています。ロンドンの中心部がZone1となっていて、周辺部に行くほど数字が増えていくのです。例えば昨日降り立ったヒースロー空港などはZone6。だから、私たちが買ったZone1・2の切符はZone1と2が乗り放題のものなんですね。Zone3〜6には行くことはできませんが、ほとんどの有名観光スポットはZone1・2に揃っているといいますから構わないやと。どうしても行きたくなったら、明後日以降に行けば良いことだし。

 実際乗ったチューブは、ボロい、窓に傷で落書きされてたりする、と外国の地下鉄らしさを存分に発揮していました(笑) 世界で一番古いわけだから、それだけに付けられた傷の多さも世界一だろうとは思いますけど。まあ、だからといって困るものでもないし。やっぱ、日本が神経質過ぎるんかなーと思います。これに比べれば、普段わりと「キタナイなー」と感じる大阪市営地下鉄もかなり綺麗。実はあの大阪市営地下鉄、列車のどっかに「前回洗浄日」が書いてあるんですよねー。そんなん気にする人がいる辺りが神経質なんだろうなー、日本人(笑)

国会議事堂
テムズ河を挟んで国会議事堂

 そんなこんなで着きましたビクトリア駅。で、集合場所へ向かうと、いるわいるわ日本人(笑) わんさかいました。遠くから見てもすぐ分かります。そして、ガイドさんに連れられてバスに乗り込み。

 ちなみにロンドンのバスには冷房がついていません。それもそのはず、ロンドンは北緯50度を越えているからですね。日本の周辺で言うなら、樺太(サハリン)のと同じぐらい北に存在するわけで。そんな北にあってもメキシコ湾から流れてくる暖流の影響で、それほど寒くなりはしないのですが、夏は夏で、太陽光線の傾斜が大きいので届く熱エネルギーが弱く、それほど暑くもならないんですね。そういうわけで、乗り物に冷房をつけなくともかまわないです。ホテルなども同様で、よっぽど高級なホテルになれば空調完備らしいですが、私立ちの泊まった部屋には冷房はありませんでした。ちなみに暖房は存在します。

 バスツアーの行き先には聖ポール大聖堂(St.Paul's Cathedral)、ロンドン塔(Tower of London)、国会議事堂(Houses of Parliament)、ウエストミンスター寺院(Weatminster Abbey)、トラファルガー広場(Trafalgar Square)、バッキンガム宮殿(Backingham Palace)など有名どころが並んでいました。しかし、うち、「下車」と書かれているのは、国会議事堂とバッキンガム宮殿のみ。しかも、国会議事堂はテムズ河挟んでるし(汗) 写真撮影専用だよ、これ。

バッキンガム宮殿の衛兵交代式
バッキンガム宮殿の衛兵交代式

 でも、バッキンガム宮殿では衛兵交代式(The Changing of the Guard)を見れたのは良かったです。あの黒い大きな帽子をかぶった衛兵たちがきちっと揃って行進している様は、やっぱり凄くカッコいい。バッキンガムというのは18世紀の富豪の名前だそうで、それを後に王室が買いとって王宮としたものです。増改築を重ねたそうで、表から見るだけでも建物の色が場所によって微妙に異なるのを見てとれます。といっても、やっぱり立派。王宮のすぐ近くまで行けるのを見ると、日本の皇居は最初の門までしか行けないよなー、とか思ったりも。正面中央上には国旗(Union Jack)が翻っていました。エリザベス女王(Elizabeth II)不在のしるしです。女王が在宮の時は、3匹のライオンとか金の琴などが描かれている王室旗(Royal Standard)が翻っているということです。

 あと行き先には書かれてなかったのですが、聖ポール大聖堂でも下車がありました。これはラッキー。でも、写真撮影専用の10分のみ。それでもこの大聖堂の圧倒的な大きさと作りの良さには思わず圧倒されました。いちいち壁に天使やらの彫刻もされているし。日本の豪華な寺院でもここまで作りの細かいものってあまりない気がする。内部まで入って見れなかったのが残念。ガイドブックによると、ルネサンス風のドームを中から見上げるのがまた素晴らしいものなんだそうで。こういうガイドブックってなんでも大げさに書くものだけど、この国の建築の凄さは遠目にも見て分かるので、やっぱり惜しく思いました。

 それからバスはビクトリア駅に戻って12時過ぎに解散。ここからは完全自由行動。真のロンドン紀行の始まりである。

 とりあえず、昼食をとろうとビクトリア駅近くを散策。妹の希望でテイクアウトできるものを安めに買い、ロンドンに多い公園のどこかで食べようということになりました。しかし、入った店で買ったサンドウイッチと飲み物の合計は3人で£19。正直高い。£1がだいたい200円だから、一人あたり1000円以上使ってる計算になります。別にボラれたわけでもないようで、店に表示されてる値段を合計してもたしかに£19。ロンドンの食費は日本の約1.5倍〜2倍はするらしいけれど、ここで直に経験。本当に安く押さえたいなら、スーパーなどでサンドイッチと飲み物を買うのが良さそうです。

シーザー像
ローマ時代の城壁前にあるシーザー像

 昼食を食べたあと、ヴィクトリア駅の近くを歩いていたら、いきなり白人のおっさんが、「Chinese Kid!!」とか言って、絡んでこようとしました。早口で喋る英語は何を言ってるのかは分からないが、分からないだけに怖かったのですぐ逃げました。なんか東洋人に恨みでもあるんでしょうか。ロンドンは治安は良いというし、実際に良かったけれど、この瞬間だけは怖かったです。

 その後は私の希望で、バスから眺めるだけだったロンドン塔へ向かうことに。再び地下鉄に乗り、最寄駅のタワーヒル駅(Tower Hill)へ。

 駅を出ると、ローマ時代の城壁がすぐ目の前にありました。この辺りはシティ。ローマ時代から街が作られていた場所であることを思い出します。ジュリアス・シーザー(Julius Caesar)の像もあります。彼はブリテン島まで征服してまわったんだったっけな? たしか記録が『ガリア戦記』だったはず…。

 そのローマ時代の砦跡に、フランスのノルマンディーからやってきたウィリアム征服王(Willam the Conqueror)が建てたのが、ロンドン塔の中心にある白の塔(White Tower)。力を持っていたシティに対する牽制のためだったそうで、実際に戦争に使われたことはないそうですが。それが1078年というから日本なら藤原摂関時代全盛のころ。やっぱりこっちは歴史が古い。そのころから増改築を繰り返して使われ続けました。どのように増改築されていったのかは、白の塔の中で映像展示されてるし、聖トマス塔(St.Tomas's Tower)のエドワード1世(Edward I)の寝室は修復せずに、それぞれの時代の遺構が考古学的に分かるように展示されている。他にもエドワード1世の使っていた道具類が再現されていました。彼はソロモン王の後継者を自認してたそうで、王座にはユダヤの表象が描かれていました。

 そのように王宮に使われたりしたこともありますが、やっぱりロンドン塔といえば監獄。あとになって朝日新聞で知った話ですが、夏目漱石が『倫敦塔』という作品で、「右手には逆賊門がある。…幾千の罪人は皆船からこの門まで護送された。…一度この門を通過するや否や娑婆の太陽は再び彼らを照らさなかった」と書いているそうです。ロンドン塔に来るなら、読んでおくべきだったと本当に思います。

 1483年に13歳で殺されたエドワード5世(Edward V)とその弟リチャード(Rechard)が殺された血塔(Bloody Tower)は特に目立つ名前でした。今は同じく血塔に幽閉された冒険家のサー・ウォルター・ローリー(Sir Walter Raleigh)の生活ぶりが再現されていて、名前ほど血なまぐさい感じはしないですけれど。

ロンドン塔風景
ロンドン塔風景

 このロンドン塔にはヘンリー8世(Henry VIII)に関連する人々のいろんな話があります。まず1536年、姦通罪で殺された王妃のアン・ブーリン(Anne Boleyn)とキャサリン・ハワード(Catherine Howerd)。しかし姦通は冤罪で、本当の理由はヘンリー8世が望む男子を産まなかったためだといいます。彼女たちが斬首された場所には処刑場跡(Scaffold Site)の碑がある。

 トマス・モア(Tomas More)は『ユートピア』を書いた宗教家で大臣でしたが、その信仰ゆえにヘンリー8世の離婚問題に反対して処刑されました。

 ヘンリー8世の息子エドワード6世(Edward VI)の死後、両親と義父に女王に仕立て上げられた18歳のレディー・ジェーン・グレイ(Lady Jane Grey)は、結局ヘンリー8世の長女・メアリ1世(Mary I)の即位によって、反逆罪で処刑。1554年のことです。彼女が王座に座ったのはわずか9日間だったといいます。

 そのメアリ1世は熱心なカトリック教徒で、多くのプロテスタント教徒を殺し、流血のメアリ(Bloody Mary)と仇名されます。彼女の妹で、プロテスタントだったので反逆を疑われて幽閉されたのが後のエリザベス1世(Elizabeth I)。先に処刑されたアン・ブーリンの娘ですね。エリザベス1世治世下のイングランドが繁栄したことは事実でしょうが、その一方で50年に約9万人を処刑したといいますから、姉に負けず劣らず、血塗られた治世だったと言っても間違いではないでしょう。平均1日5人ずつ殺した計算になるわけですから。

首狩斧
白の塔に展示されてる首刈斧

 エリザベス1世はカトリックとの対立を深め、ついに大国スペインと衝突します。そして当時、無敵艦隊と呼ばれていたスペイン海軍に勝利を収めますが、その際に戦利品として奪ってきた武具類も白の塔には展示されていました。中には首刈斧や拘束具など拷問・処刑道具も含まれていて、ロンドン塔の暗い歴史を感じさせるものでした。

 白の塔の展示品の変り種はエリザベス1世の後、スコットランドから来てイングランド王位を継いだジェームズ1世(James I)が、日本の江戸幕府2代将軍・徳川秀忠から送られたという鎧。周りの甲冑は西洋風の騎馬で使用する(とゆーか、重過ぎで馬に乗らないと動けない)スーツアーマーばかりなのに、そこだけオリエンタルな雰囲気になっていました。ほかには長さ3〜4メートルもあるような馬上槍ランスも展示されていました。

 そういった監獄・砦としての面のほかに、ロンドン塔で凄かったのは、宝物館(Jewel House)の宝物たち。入り口には歴代の国王たちの紋章を象った棚が並び、その先には映像で宝物類の紹介があったのちに展示されている王位を示す冠に錫杖・宝珠・ローブetc. 絵画等に書かれる国王たちが必ず身に付けているものですが、間違いなく絵以上の美しさをもって輝いていました。

 代表的なのは王錫についている53カラットの「アフリカの星」というダイヤモンド。直で見ると圧倒される。最低でも金で作られた細工物ばかりです。いや、金ぴか趣味って好きではないはずなんだけど、ここまでたくさんあると、やっぱイギリス王室の伝統と権威に思わず脱帽してしまいます。「権威の象徴」の豪華な道具類って頭では理解できてたんですが、やっぱどこかで「実用性ないよなー」とか思ってたのが、感覚から教え込まされた宝物館でした。最後に売店で販売してる貴金属類が展示されていたんですが、当然ながら今まで見てきた物に比べるとずいぶん見劣りしました。

タワー橋
タワー橋

 ロンドン塔を堪能したあと、テムズ河沿いに出てくると見えるのがタワー橋(Tower Bridge)。ロンドン塔の近くにあるからこの名前があるらしい。ヴィクトリア朝風の跳ね橋で、ロンドンの橋といったらこの橋を想像してしまう有名な橋ですね。というか、ロンドンの橋で一番有名だから、これが童謡に出てくる「ロンドン橋」だと思っていましたが、真のロンドン橋(London Bridge)はテムズ河のもう少し上流側を渡してる全く変哲のない橋だった。ちょっと残念。わざわざ行くのもなんなので、タワー橋からロンドン橋の写真を撮って済ませました(笑)

 タワー橋を見終わったころには眠くて仕方なくなりました。ロンドンでの時間でこそ17時過ぎですが、日本時間でいえば18日の朝1時ぐらいに当たるわけだから当然。タワーヒル駅へ戻って地下鉄で戻ります。

 夕食はカップ麺を買ってとるが、やっぱり味が微妙。日本のカップヌードルのほうがかなりマシな味がすると思います。妹がファンタオレンジを買ったが、日本に比べて炭酸がキツい。キャップを取るたびに炭酸が抜ける音がします。よほどの量の炭酸が入ってるようです。というか、ロンドンでは飲み物に炭酸入り飲料が多いです。スパークリングウォーターといって水にも炭酸を入れる国民だしな〜。どっちかというと炭酸飲料が嫌いな私には理解できない嗜好です。

 夕食後、眠いなーとベッドに寝転がっているうちに、気づいたら寝ていました。時差と疲れのダブルにはあっけなく負け、ってことですね。

(writteen on 2002/08/25)


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「世の中に昔語りのなかりせば―」
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