京都能楽


 この日は、関西にいらっしゃってた瀬山さんほかの方々と京都散策をしました。

晴明神社
晴明神社

 ルートの計画をいろいろ立てていた割りにハプニングがあって、集合場所からしてコケました(汗) 京都駅で唯一の関西よりの参加であるSさんと合流するものの、九州の方々とは行き違いになってしまって、結局、晴明神社で合流となりました。

 九州の方々の希望が能楽史跡巡りということだったので、まずはこの晴明神社。一応、安倍晴明邸跡となってるので、能『鉄輪』の後場、夢見の悪い夫が安倍晴明に相談するために訪れる場所ということができます。安倍晴明邸は、御所の鬼門である北東にあったという話ですが、今の京都御所から言えば西側になります。これは、御所の方の場所が変わったせいで、元々の都のメインストリートだった朱雀大路は今の千本通の辺りだったのです。ちょうどJR嵯峨野線の二条駅前が、平安京の朱雀門の位置だったそうですから、そこから考えればしっかり北東ですよね。映画『陰陽師』のキャストの皆さんの奉納した絵馬とか、今度京都文化博物館で催される「安倍晴明と陰陽道展」のチラシを見てました。(でも、観光神社化されてて、あまり見るものはない気もしますけど)

一条戻り橋
一条戻り橋

 そこから一条戻り橋へ。安倍晴明が奥さんが怖がるからと式神を隠した橋だとか、三善清行が復活した橋だとか、いろいろ伝説のある橋です。

 源頼光の四天王の1人である渡辺綱が、茨木童子の腕を切り落とした場所だともされており、能『羅生門』として能の舞台ともなってますね。まあ、どっちかというと、歌舞伎『戻り橋恋の角文字』の方が有名ですけど。

 「戻る」に掛けて、戦争のとき、徴兵された若者たちがこの橋を渡って無事戻ってくることを願っただとか、嫁に行った女性は渡ってはいけない橋だとか、そんな話もあります。

抹茶雑炊
抹茶雑炊
怪しすぎるので思わず激写

 ここから橋を渡って、京都御所の方へ抜ける予定でしたが、九州の方々が着物など荷物を持ったままだったので、バスで三条京阪へ移動、そこで荷物をコインロッカーに預けて、そのまま昼食となりました。

 昼食は、Sさんが見つけてくれた茶そばの喫茶店。茶そば・茶飯・抹茶雑炊などを食べながら歓談タイム。関西と九州のパンフを交換したりして、いろいろ話せて楽しかったです。

能楽人形『鞍馬天狗』
能楽人形『鞍馬天狗』

 昼食後は、三条河原町まで歩いて移動。途中のお土産物屋で、左の写真のような能楽人形や祇園祭の山鉾の人形を売ってる店を見つけます。うわー、こりゃ私もシテした能『船弁慶』の人形が欲しい(笑) でも、17000円。高い(汗) 結局、私は見るだけで終わりました。

 『羽衣』や『高砂』なんてのが多かったですね。『菊慈童』『隅田川』、ピンクな衣装が目につく『吉野天人』なんてもありましたけど。能のことをぎゃーぎゃー言ってると、店のおっちゃんが「謡曲知ってるんなら、祇園祭の山鉾にも能がネタに成ってるのあるよ」と「芦刈山」やらを進めてきたりしました。

 瀬山さんほか九州勢の方々は小鼓の小物とか、いくつか買われていたみたいですね。Sさんも「祇園祭の山鉾シリーズ、コンプリートしてみたいです」などとのたまってる。…全部で10万円ぐらいするよ(^^;)

 バスで下鴨神社に移動。

下鴨神社
下鴨神社

 下鴨神社は、正しくは賀茂御祖神社といい、京都の土地を初めて開拓した渡来系賀茂氏の氏神です。その祖神・建角身命と、娘の玉依媛を祭っています。この玉依媛が能『賀茂』のツレの天女で、作り物として出てくる丹塗りの矢との間に生んだ子がシテ・別雷神となります。その別雷神を祭ってるのが上賀茂神社の方で。正式名称・賀茂別雷神社となってます。

 社殿についたころ、龍笛の演奏の音が聞こえたのですが、壁の向こう側で何か十二単を着た女性が舞っているようでした。あまり見れなくて残念でしたが。その後、南下して糾の森へ。

 糾の森、賀茂御祖なんて名前を聞いたせいで、「御祖の神は糾の森に。飛び去り飛び去り。入らせ給へば」と『賀茂』キリの謡がずっと頭の中を流れてました。

 次に再びバスに乗って、京都市役所隣にある京都ホテルオークラの牛窓さんの能楽写真展も見ました。展示してあった写真の内、一番インパクトがあったのが『石橋』。カシラが全部跳ね返ってる瞬間なんですよ。これは凄いです。ほかでは『清経』なんかが良かったですね。『道成寺』は3枚も展示されてましたが、どれも面の表情があまり良くない感じでした。やっぱ能面の表情ってのは面白いなぁ、と思ったものでした。


神泉苑のアヒル

 その後は二条城に。能には直接関係ないですが、京都でも特に有名なスポットですから。ただこのころになると時間がすでに4時過ぎ。入場ギリギリだったので断念。そのまま、二条城隣にある神泉苑へ行きました。

 神泉苑は平安京造営の時に、風水の関係で天皇の園遊のために作られた池で、現在の御池通の由来にもなっています。本来は12万m2もの広大な庭園だったものの、徳川氏による二条城の建設の際に敷地が縮小されたため、現在ではほとんど名残はありません。

 空海が善女龍王に雨乞いの祈祷をしたとか、陰陽師・賀茂保憲が雨乞いをしたとか、雨乞いの伝説には欠くことのできない聖地です。能でいえば『鷺』の舞台で、五位鷺が勅命に従って大人しく捕まったという伝説の地だったりします。

 敷地に入ってすぐ、アヒルが歩いてます(笑) 鷺の場所なはずなんですけど、そんなことアヒルには関係ないみたいです。難波津のくろ師匠に話したら「コストダウンなんやろかねぇ、不況だから(笑)」と仰ってましたけど、案外その通りかもしれません(笑) クワ、クワ、クワっと何の悩みもなさそうに歩いてるのが、ちょっと小憎らしいです。…食べたら美味しそうですね(爆)

神泉苑
神泉苑

 神泉苑前からバスに乗って、また三条京阪へ。もうそろそろあまり時間に余裕がない、ということで、三条河原町の辺りでお土産物屋巡り。扇子屋さんで、観世流の仕舞扇も売ってるの発見(笑) やっぱ、他の土地に比べて盛んなんでしょうね。あと、外国人向けの怪しげな着物類を売ってる店もあったのですが、奥の方に紋付らしいものがあるんですよね。触ってみましたけど、物も悪くなさそう。ただサイズが小さいのが難点。大きければ買ってたかもしれません。

 そうして、5時過ぎに九州の方々とお別れとなりました。ちょうど雨が土砂ぶり。天気予報では曇り時々雨だったのに、今までは降らなかったので安心してたところ、最後に裏切られたみたいな気分です(笑) 分かれた後、三条京阪まで歩く九州の方々は大変そうでしたね。関西勢(Sさんと2人ですけど)は、雨がやむまで、新京極通りをずっとブラブラしてました(笑)

 …一日歩き詰めで疲れましたね(笑) それでも普段会えない方々といろいろお話できて、とても楽しかったです。ただ、せっかく案内を買って出た割には、結局行き当たりばったりになって、申し訳なかった気もします。前日から引き続いてネクタイ締めていた私と瀬山さんが、修学旅行の引率の先生に例えられた場面などもありましたが、どうせなら「修学旅行のしおり」でも作っていれば良かったかもしれません(笑)

 また九州の方々と交流の機会がもてたら良いですね。

(written on 2003/07/10)


トップ観光記録>京都能楽
「世の中に昔語りのなかりせば―」
http://funabenkei.daa.jp/yononaka/