京都


 中高以来の友だち・樹響と京都に行ったのでした。

 せっかくの春休みだから京都に行こう、とは前から話合っていたんです。しかし、実際にどこへ行くかは全くの無計画(笑) 私は清水寺・晴明神社・貴船神社。鞍馬寺といろいろ言いたい放題言ってましたし(汗) それぞれ能『田村』、『鉄輪』、『鞍馬天狗』の謡跡というのは偶然ではありません(笑) あと、『源氏物語』の人形がある風俗博物館には、是非とも行きたかったですし。

 私の希望を全て入れたコースとなると、風俗博物館→京都文化博物館→清明神社→鞍馬寺→貴船神社の「京都縦断コース」になってしまいます(汗) 交通機関的に見事に一直線。地図で見たら分かりますが、鞍馬や貴船は凶悪に遠いです(笑) そんなわけで、もう一度地図を見て話を見直す私たちでした。

 しかし、途中でさらに私が「そういや、三十三間堂とか六波羅蜜寺とか北野天満宮とかの有名どころにも行ったことないんだよな」とか言い出す始末。我ながら、一体どこに行きたいのか絞ってから話せ、と今になっては思います(汗)

 結局目的地は当日決めることに(笑) 当日落ち合った後、電車の中で話し合う私たち。とりあえず風俗博物館に行ってから、前日に後輩から教えてもらった京都国立博物館での「雪舟」展に行って、その向かいにある三十三間堂に行くことに。その後は終わってから考えればいいや、というお気楽さでした(笑) 晴明神社とか完全に吹っ飛んでます(汗)


1.風俗博物館

 まずは風俗博物館。阪急烏丸駅で電車を降りて四条烏丸から南下。六条の南の東本願寺の北の道を入って進んで行った西本願寺の直前にありました。両本願寺の間なんで、辺りに仏教関連の施設や店の多いこと多いこと。両本願寺の築地塀ほか、本当に古き良き町並みって感じでした。

狩衣を着る私と樹響
狩衣を着る私と樹響

 風俗博物館は井筒南店ビルというビルの5階にあるんですが、エレベーターを上がって出ると、そこには確かに『源氏物語』の光源氏邸・六條院がありました。

 元々この博物館の存在を知ったのは、風俗博物館編の『源氏物語 六條院の生活』という本でのことです。人形で源氏物語を再現してる写真集です。それの実物です。

 この日は「藤裏葉」の冷泉帝行幸と「若菜上」の出産でした。私みたいな平安時代ファンにはたまらないです。しかも「当館は、見て触れて体感していただく博物館です。写真撮影はもちろん、おしゃべりも可能ですので心ゆくまでお楽しみ下さい」と来たもんだ。連れの樹響と一緒にベラベラ喋ってました(笑)

 また、人形での再現だけではなくて人間大の再現のコーナーもあって、御帳台(当時のベッド)、几帳(布で向こう側を隠すアレです)、鏡台(鏡の台)ゆする(洗髪剤入れ)などの平安調度類と、等身大の人形が置いてあるんです。私はそこにあった龍笛(雅楽笛)を触って遊んでました(笑)

 風俗博物館のスゴイところは、狩衣(男性貴族の普段着)や袿(女性貴族の着物)を自由に着たり出来ることですね。当然、狩衣着て樹響と写真撮影した私たちでした。当然場所は御帳台の中(笑)

 そうやって遊んでいたせいで、予想外に時間を使ってしまった私たち。とりあえず昼食(私はキツネうどん定食、樹響は鯖煮定食。…渋い)を食べた後、京都国立博物館で行われている「雪舟」展に行ったのでした。


2.京都国立博物館と「雪舟」展

雪舟展

 雪舟(1420-1502)は誰だって名前ぐらいは聞いたことあるとは思いますが、室町時代の画僧です。明に渡って水墨画を学んだ人で、『四季山水図』『山水長巻』『天橋立図』など受験日本史でも必須の作品類を残しています。

 今回は彼の没後500年の記念展だったのですが、前回の雪舟展が50年前だったそうで、そこから来たコピーが「見逃せば次は50年後。それまであなたは待てますか?」 …やらしいコピーですね(汗) 雪舟ファンならともかく、大して雪舟のことを知らない私には、今でも50年後でも、すごく期待してるわけじゃないってば(歎息) というか、京都行く前日に後輩に教えてもらうまで「雪舟」展やってること自体、全然知らなかったし。…でも、結局見に行ってるんですけどね(笑)

 感想ですが、疲れました(笑) 展示室内に人がひしめき合って、ガラスケースの中にへばりつくようにして見てる。非常にゆっくりとした動きのベルトコンベアに乗って動くようにして動く。でも、たまに割り込みする輩もいるから、ますます流れが遅くなる。そのうち、足が疲れて立ってるのが辛くなる。雪舟の絵を見に来たはずが、人を見ているような気になります。…こういう「○○展」とか見に行く度に思うんですが、人多過ぎなんですね。

 私が国宝『秋冬山水図』を見てたとき、右後ろで「すごいわー」と言ってた夫婦らしいオジサンとオバサン。ホンマに何がスゴイか分かってるのだろうか。「長野オリンピックの時の切手のデザインになったんやって」とか言って感心してましたけど、じゃあ、切手にならなかったらスゴクないんかい、と心の中でツッコんでました(笑) つまり、そのオジサン・オバサンにとってスゴイのは、「国宝」だとか「切手のデザインになった」とかいう絵の持ってる"肩書き"なんだとうか、と思ってしまいます、私。

 …もっとも私だって、雪舟の良さが分かってるわけではないし、そのオジサン・オバサンとどれだけ違うのかといったら、全然変わらないのは分かってます。私も含めた全くの素人でも、機会と少々のお金を消費すりゃ、区別や差別をされることなく美術展を見に行くことができる。これは考えてみればすごく恵まれていることなんですね。昔は、それこそ雪舟の作品を見ることができるのは、貴族だとか大名だとか、そういうごく限られた人間でしかなかったわけなんですからね。しかしながら、それでも私は人が多すぎるのが嫌いです(笑)

慧可断臂図
『慧可断臂図』(雪舟/画)

 それに「雪舟」展なんですが、彼の師匠やライバルたちの作品まであって、総点数120余点。多すぎ。例えば『山水長巻』1点だけでもしっかり見るには時間かかります。なんせ横幅16メートルですから(あまりに長いので一部のみの展示でした、残念)。まあ、雪舟最大の作品を例に出すのは卑怯かもしれませんが、120点って多すぎだと思うのです。多ければ良いわけじゃないんですから。必要な分だけがあるスリムな展覧会でも良いのにな、と思った私です。

 と文句ばかり並べた「雪舟」展ですが、やっぱり雪舟の絵は良かったと思います。私が一番目を奪われたのが『四季花鳥図屏風』。描かれている鶴の目が、何か物言いたげな感じでした。あんましぼーっと見てたものだから、樹響が「どうしたの?」と聞いてきたので、「あの鶴とアイコンタクトしてた(笑)」と言ってました。

 ほかは『慧可断臂図』ですね。達磨に入門を許されなかった慧可という僧が、自らの手を切って覚悟を示したという故事を絵にしたものですが、達磨が見た瞬間、モンゴル帝国の皇帝・フビライ=ハーンの肖像画にしか思えなかったけど(笑) …こんなアホな感想書いてる辺り、私の理解度の低さが分かるってものですが(汗) いえ、達磨と慧可の間に漂う緊張感がよく伝わってくる絵だと思いました。雪舟はよく山水画家と言われますけれど、山水画以外の人物画などでも優れた作品があるみたいです。

 樹響は、私のHPにちょくちょく絵を描いてくれたりするように、絵に並々ならぬ興味を持っているので「雪舟」展はとても楽しかったようです。私は…上の方で書いたように、あまりの作品の多さに消化不良を起し、途中にあった休憩室でちょくちょく休憩してました。私1人だったらザァーッと見て、それだけで帰ってしまっていたかもしれません。樹響と一緒だったからこそ、しっかり見ることができたんだと思います。

 しかし、しっかり見た分、13時前に京都国立博物館に入ったくせに、出てきたときにはすでに16時半過ぎ。実に4時間近くも博物館内にいたのでした。本館でやってた「雪舟」展以外に、新館の1室でやってた「雛まつりとお人形」展を私の希望で見に行ったから、というのもあったのですが。享保時代の雛人形に、お雛さまが能の天女が被っているような天冠をつけているものがあったり、今の太鼓・大鼓・小鼓・笛・謡の五人囃子とは違う、銅鑼・琴・琵琶・笙・鞨鼓の五人囃子があったのが楽しかったです。立雛なんて珍しいものも見れました。


3.その後〜誠心院

 しかし、京都の寺社は5時ぐらいには閉まります。そんなわけで、京都国立博物館から出た後に行くことにしていた三十三間堂には行けず。三十三間堂を全力で走って『スプリンター』ごっこに是非ともチャレンジしたかったのに残念。たぶん晴明神社も北野天満宮も全て全滅だろうという予想の元に、とりあえず阪急河原町駅の辺りまで歩きました。

 で、歩き疲れてた足を休めるのと、これからどうするか決めるため、喫茶店に入ってパフェを食った私たちでした。私はクリームパフェ。樹響は「祇園パフェ」という抹茶と餡子のパフェ。店内で男2人でパフェ食ってるなんて私たちだけでした(汗) しかし、そんなの気にかける余裕もなく、とにかくがっついてたのでした(笑)

 その後、私が携帯電話のiモードで調べた映画館に、前から一緒に見に行こうと話してた映画『ロード・オブ・ザ・リング』を見に行くことにしました。場所は三条新京極のMOVIX京都。とりあえず指定席のチケットを買ったのち、少し時間に余裕があるので辺りを散策してみたのですが、見つけた本能寺はしっかり閉まってました。織田信長が明智光秀に討たれたことで有名な寺ですね。入れなくて残念。

 さらにウロウロしていると、誠心院という寺を見つけました。辺りはゲームセンターやらファーストフード店などが多い場所で、本能寺ほど立派な面構えでもないので、はじめ通った時は気付きもしませんでした。しかし、こういうところに寺があるのが京都という街なんでしょうね。中に入ると辺りの雑踏が急に遠のき、静かでした。向こう側にはボーリング場の「ROUND1」が見えるのに、どうしてここまでひっそりと静かな雰囲気があるんだろう、と思える場でした。

 和泉式部ゆかりの寺だそうです。能『東北』で語られていることですが、平安時代後期の恋の歌人・和泉式部は、摂政藤原道長の娘・中宮彰子に仕えていた縁で、道長から法成寺東北院の一庵を与えられ、そこで晩年を過ごし、そこに生えていた梅の木をこよなく慈しんだといわれています。その庵を復興したしたものが誠心院で、和泉式部が愛した軒端の梅も植えられているのでした。

 よく定子に清少納言、彰子に紫式部として理解されてるように思えますが、和泉式部は紫式部の同僚だったのです(もっとも『紫式部日記』を読む限り、仲は良さそうには思えませんが(笑))。のちに女人として始めて成仏し、歌舞や女人救済の菩薩となったという伝説を持つようになる和泉式部ですが、やはり恋の歌人としての名声も高いようで、門前には念じながら回すと恋の願いが叶うという鈴があり、私と樹響が見ていた時間だけでも、何人かの若い女の人が回していきました。私もちょっと回してみようかな、という誘惑に駆られたのですが、一応はキリスト教徒としての自負があるので止めておきました(笑) 結局、『ロード・オブ・ザ・リング』の上映時間の直前まで、この誠心院で黄昏てました。

 で、見た『ロード・オブ・ザ・リング』の感想ですが、これは「日々雑感」の方に書いておくことにします。ただ終わったのが22時半(汗) 私たちの時間予想が甘かったのですが、私にとっては終電ギリギリ、樹響にとっては終電が既に出た後という状態になってました(汗) そんなわけでなんとか樹響は私の家に泊まってもらって、翌朝帰るということになってしまいました(汗) ごめんね〜、無理に映画誘っちゃって(^^;) いいよ、って言ってくれましたけれどね。

 以上、樹響密着24時でした(違)

(written on 2002/03/18)


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