大鼓自主練習《班女》

久しぶりの大鼓稽古

明後日は、約2ヶ月ぶりに大鼓の稽古に参る予定。もう楽しみで仕方がありません。師匠とお会いできること自体が楽しみ。曲は《班女》。

《班女》という能は、美濃の野上の宿の遊女だった花子という女性が主人公。花子はある時、宿に泊まった吉田の少将と深く契って以来、互いに取り交わした扇にばかり見入って他の客の席に出ようともしないので、ついには宿から追い出されてしまいます。追い出された彼女は京都に流れ、狂女となります。彼女は恋人の扇を胸に抱いて舞い謡うので、中国・漢の時代の班婕妤の故事から「班女」と呼ばれたのでした。

最後は吉田の少将と再開してハッピーエンドとなるのですが、その結末よりも、可憐な遊女が恋に狂ってみせる部分が見所だと思います。能の「物狂い」というのは、いわゆる「発狂」のことではなく、恋人や夫婦・親子などが別離することで感情が極まってしまった状態のことです。「狂乱」という感じが近いでしょうか。

稽古箇所 一声~カケリ~下歌・上歌

今回のお稽古の範囲は、後シテが登場する「一声」の囃子から、カケリを経て、最初の下歌・上歌までの部分。狂女になった花子が登場して、恋に狂っている様を見せる部分です。

久しぶりの稽古なので、前回の稽古の録音を聞きながら自主練習。素人ながら、能楽は師匠と対面してお稽古していただくものであって、録音を頼りに練習するのは邪道だという思いがあるので、ずっと使わなかったのですが、現状ではなかなか稽古に参れず、どうしても師匠のご注意を忘れてしまうので、文明の利器の助けを借りています。

「一声」や「カケリ」などの囃子は、別の曲でも使われます。特に「一声」が使われる能は多いです。一曲一曲、雰囲気は違うのですが、囃子の手(いわゆる楽譜)は同じ。その分、同じ楽譜でも、楽譜に書かれていない部分を曲調によって変化させて打つわけですが、その工夫が難しく、同時に楽しいところです。

物狂いは感情が極まってとても不安定な状態なわけなので、抑揚を強調して打つのが「らしさ」かな、と思っています。ただ変に強調しすぎても嫌らしい。もっとも録音を聞くと、まずは打つのに必死で、十分な強調もできていないんですけれどね。精進が足りません。

…しかし、自分の稽古の録音を聞くと、我ながら下手くそだなぁ、と思います。特に掛け声。ヤ声やハ声(実際には「ヨォ~」「ホォ~」)はまだしも、「ヨーイ」「イヤー」の掛け声が高くなり過ぎる。声が裏返っているんですね。元々作れてもいない雰囲気をぶち壊しています。

上手くいかない恋が好み?

能の謡には、リズムにあう「拍子合」のものと、「拍子不合」のものがありますが、最近のお稽古では、拍子不合の謡の部分が多くなってきています。今回の『班女』では80%近くが拍子不合。正直いうと苦手です(笑) 文字と囃子の手が厳密に対応する拍子合と違って、より謡の息を読んで打たねばならないわけで。

でもカケリの直前の謡が「恋すてふ。我が名はまだき立ちにけり。人知れずこそ思ひ初めしか」という、好きな壬生忠見の和歌になっているので、上手く囃せたら楽しいなぁとも思うのです。ともかくも練習するしかないのですけれど。

ちなみに『班女』で私が一番好きな部分は、今回の稽古の部分には含まれていませんが、舞の後、少し諦め気味に形見の扇より。なほ裏表あるものは。人心なりけるぞや。扇(逢ふ・ぎ)とは虚言や。逢はでぞ恋は添ふものをという部分。

…どうも上手く行かない恋を嘆く言葉が好きらしいです、私。狂女物のカケリの前に稽古をつけていただいていた『通小町』も、好きな言葉満載でしたもんね(笑)

《班女》が終われば次は

この曲を終えたら、次は「イロエ掛リの中之舞」の曲を稽古していただく約束になっています。「イロエ掛リの中之舞」といえば《松風》! 大好きな曲が待ってますので、頑張りたいと思います。

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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