友人宅飲み→正倉院展→能本を読む会→大鼓稽古→実家

予定を詰め込み過ぎた一日

つい休みの日にはやりたいことを詰め込んでしまいます。11月8日はそんな一日でした。まず前日の仕事が終わり次第、京都の友人宅へ出発。友人宅にお酒とツマミを持ち込んで、朝方までお酒を飲みながらひたすら話し明かします。

明けて8日朝は、まだ寝てる友人を叩き起こして(ごめん)、正倉院展を見に奈良国立博物館へ。開館時間に着いたものの、既にかなりの人出でとなっており、じっくり見ている間に、ますます人が増えてきました。

私にとっての今回の目玉は、なんといっても『国家珍宝帳』。5通現存する「東大寺献物帳」の中で最初のもの。文頭に太上天皇捨國家珎寶等入東大寺願文とあるように、光明皇后が亡くなった夫・聖武天皇を偲んで東大寺の大仏に収めた遺品など約600点のりストであるわけですが、14m74cmもある巻物が全部見られたのは圧巻でした。

この当時の古文書は、古代の文献史学をやっていた私には親しみ深いもの。中世以降のものとは違って、楷書で読み易いですし(笑) とはいえ、活字に起こされたものばかり見てきたので、本物を拝むのはまた違いますね。

ほとんどは宝物の名前と数、特徴が書かれているだけなんですが、中にはその宝物の由来などが書かれているものもあって、例えば歴代天皇に伝えられた厨子(戸棚)や、日並皇子(草壁皇子)→文武天皇→聖武天皇という天武直系三代の天皇と太政大臣(藤原不比等)の間を行ったり来たりした黒作懸佩刀など。そういうところに私は歴史ロマンを感じてしまいます。『珍宝帳』に載っていて現存している宝物は、展示の上に写真も掲げられていて、実際の宝物を想像しやすい工夫がされていたのは嬉しかったです。

『珍宝帳』最後には当時、光明皇后の甥で、皇后に近侍して権力を振るった藤原仲麻呂(恵美押勝)の自筆署名があるのも、古代史ファンとしてはたまりません。彼の当時の官職は従二位行大納言兼紫微令中衛大将近江守

あと興味が惹かれたのは、最後の方に展示されていた漆鼓(胴)と鼓皮。やはり能楽大鼓を習っているからでしょうが、古楽器は見るだけで興奮してしまいます。胴は能楽のもののように両端がお椀型になってはなくて、神戸港にあるポートタワーのような形で、真ん中の腰部分に三条の帯がついています。黒漆が塗られた上に少し模様が見えるので、鼓胴に漆で彩色をする習慣って古いのかなと思ったり。

これは当時の伎楽(呉楽)に使われたものだそうで、解説によると掛紐で首から下げ、腰前に据え、両手のひらで打ち鳴らして演奏されたとみられるそうです。時々、正倉院の楽器を再現して演奏するというイベントの案内を見かけますが、鼓の再現も行われないものでしょうか…(←つくづく鼓好き)。

展示を見終わって出ると時間は12時。外は大行列で、入場まで90分待ちになってました。…平日なのに。朝一で来て、本当に良かったですね。

昼からは「能本を読む会」へ

正倉院展を見終わるとすぐに京都へ引き返して、昼食を食べて友人とはお別れ。次は京都駅前のキャンパスプラザへ、能楽師で文学博士の味方健先生が講師を勤める「能本をよむ会」です。

今回の曲は《三井寺》。ともかく味方健先生はお話がお上手ですし、学者なので読みは深いですし、同時に能の実演者なので演出の話があったりと、それが500円の資料代だけで拝聴できるのは、なんて贅沢な話。ちょうど「大鼓方・山本孝古希祝賀能」で梅若六郎師がシテの《三井寺-無俳之伝》を見る予定なので、良い予習にもなると思って行きました。ただ前日ロクに寝ていないために、途中に何度か沈没(汗) 何しに来てるんだろう、私。

でも《盛久》や《姨捨/伯母捨》など同文があったり、二条良基の連歌を踏まえた表現があったりというのは、聞いていて新たな発見ばかり。大した話ではないのですが、後シテの出にある謡ましてや人の親として。いとほしかなしと育てつるの、「かなし」とは「愛し」とのこと。狂言の夫婦物で時々使われる「かなぼうし」という言葉は「愛法師」で「可愛い子ども」という意味なんだとか。なんとなく雰囲気で理解してましたが、初めて意味を知ってすっきりしました。

なんとなく読んだり見たりしてしまうことの多い能。でも読みこめば、こんなに深い世界があることを改めて感じました。他の能を見る時も参考にしなければ!

夕方からは大鼓の稽古へ

「能本をよむ会」の終了後は大阪へ移動。大鼓の稽古へ。曲は、いいかげんにそろそろ仕上げねばならない《通小町》。…でも今ひとつ。せっかくのお稽古に何しに行っているのだと後悔。

所詮素人。まだまだ少し稽古するだけで、大きく変わってくる程度のレベルなのですから、それだけにきちっと仕上げることが大切なのに。今日は予定を詰め込みましたけれど、あんな無様な稽古を受けるなら、ひとつぐらい外してきちんと練習しておくべきでした。突如、後輩の謡と合わせることになった『融』も散々で、ひたすら情けなかったです。

学生のころに比べると、師匠もだいぶお稽古で甘くしてくださりますが(一時期はお稽古の際に叱られるのが怖くて逃げていたぐらいでした…)、それに甘んじていたら、なんのために稽古しているのか分かりませんよね。反省。

お稽古終了後は、用事もあって師匠邸へお邪魔。ご家族と一緒にお酒と鍋をいただきます。普段の食生活があまり良くないので、これでもかとご馳走になりました。師匠邸からは実家の方が近いのでその日は兵庫県の実家へ帰宅。

この日を改めて振り返ってみると、一日で(大阪→)京都→奈良→京都→大阪→兵庫と関西二府二県を走りまわりました。アホですね、私。でも好きなことを精一杯することは楽しいですね。

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柏木ゆげひ

大学の部活動で能&狂言に出会ってから虜→現在は会社員しながら能楽研究の勉強中。元が歴史ファンのため、能楽史が特に好物です。3ヶ月に1回「能のことばを読んでみる会」開催中。能楽以外では日本史、古典文学などを好みます。

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5件のフィードバック

  1. kai3 より:

    「世阿弥の伝書を~」を只今受講中です。
    なかなか面白いのですが
    「能本をよむ会」の方がさらに面白そうですね。
    前から気にはなっていました。
    来年から受けてみようと思います。
    明日の「三井寺」も楽しみですね

  2. ももたろ より:

    はゎー、すごい行動力ですね。。。
    近くにいながら、正倉院展は結局行けずじまいでした(涙)
    今年は特に人が多かったようですね。
    私も胴と鼓皮、見てみたかったです。
    >「掛紐で首から下げ、腰前に据え、両手のひらで打ち鳴らして演奏されたとみられる」
    演奏の仕方は今もおん祭で行われる細男(せいのお)の鼓の打ち方と似ている様な気がいたします。
    伎楽が日本の芸能に影響を与えたからなのか、定かでないですがいろいろと想像が膨らみます^^

  3. ★kaki3さん
    休みが不定期なので、予定が空いてる時のみ
    「能本をよむ会」に行ってます。
    前回に受けた『卒都婆小町』も良かったですね。
    次回は20周年記念として、講義ではなくて演能会です(^^)
    ★ももたろさん
    この日はさすがに疲れました(笑)
    正倉院展は好きなので、毎年行きたいぐらいですが、
    2~3年に一度のペースしか行けてないですね。
    久しぶりの、正倉院展でした。
    春日若宮おん祭には古い芸能がたくさん残ってますよね。
    細男はおん祭と、あとどこかのお祭と二箇所しかない、と
    聞いた覚えがあります(うろ覚えですが・苦笑)
    見てみたいものですね。
    観世流の能『三輪』には、宗家のみに伝えられるという「誓納」という
    小書がありますが、これは「細男」の当て字だとも聞きました。
    なにか関連があるのでしょうか。

  4. ももたろ より:

    あ!確かに漢字は違えども、細男と誓納のよみは同じですね。
    全く気づいてませんでした*o*
    ほんの少しだけ調べたのですが…
    うーん、関連した旨の書かれた文書は見つからず、、、
    しかし、誓納の小書がつけば内容がより一層神道に関わってきますので、細男とはおおいに関係がありそうな気がします。

  5. JRの駅で、おん祭のパンフレットを見つけたので、
    もらって帰りました。
    小さいですが、細男の写真を見ました。
    烏帽子に白装束、能『望月』で使うような白い布の覆面に
    鼓を腰の前につけて手で打っているようですね。
    ああ、生で見てみたいものです。
    誓納の代わりとして出来たという「白式神神楽」でも
    かなり神の世界を感じさせるものだったので「誓納」も
    いつか見てみたいものですが…。
    昨日、大槻能楽堂で、喜多流『三輪』が「神遊」という
    小書で演じられてました。これも面白そうな名前ですが。